歳をとると海鮮料理が好きになる

よっす。クッソ久っす。

 

スローンを足に落として爪と指死んだりベルトコンベアに手巻き込まれて指打撲したりバイト先に飲み物忘れたりお財布出そうとして筆箱出して時を止めたり起きてたのに6駅乗り過ごしたりなくるみです。注意力、というものを福井に忘れてきたのかもしれません。荷物と一緒に届けて欲しい。

 

そんな私ですが今朝気付いたことをメモ程度に書いておきます。やっと答え見つかったやつ。

え〜〜どこから書いたらいいんだろう。

まず、私は人より恐らく人間関係におけるプラスの感情に、心がとても大きく左右されるんですね。(一言話せただけで後から思い出してニヤニヤしてしまうし、相手、私、相手、と3回以上リレーが続くと飛び上がるくらいワクワクする。食べ物を持ってきたくれた店員さんに「ありがとうございます」って言って「はーい」って言われると死ぬほど嬉しい。←妹だけが共感してくれた。固い握手を交わした。)これは、私が人よりも人間関係を築くのが苦手だという自覚があって、その上で自分で設定したハードルを飛び越えられた喜びによるもの。多分。それは分かるんだけど、「そういう過程を経て少し話せるようになった人と会うのがめちゃくちゃ億劫」っていう問題がありまして。こっちが本題。

例えばバイト先。

少しだけ話せるようになった人が同じ日にシフト入ってるのを見た時の私

『ウワ…いる…』

失礼かよ。失礼なのかよ。問題は、私がその相手のことを嫌いなわけでもなんでもなくて、寧ろかなり好きだということ。本当は仲良くなりたい人とシフトが被って『ウワ…いる…』て。因みに話すことが嫌なわけでもなくて(とても苦手ではあるけれど)、ちゃんと話せたらさっき書いたみたいに後からニヤニヤする。(この場合の「ちゃんと」は「話せたら」と「ニヤニヤする」両方にかけて欲しい)

こう思ってしまう理由は、プラスに働いた感情は簡単にマイナスに働く、と思い込んでいるからだ。(これが今朝気付いたやつ)お互いに興味を示していない状態がゼロだとすると、ゼロからマイナスとゼロからプラスは同じくらい感情量(こんな言葉があるのだろうか)が要る。ところが一度人間関係を築きかけると、それはプラスにもマイナスにも働きやすくなってしまう。それがすごくすごく怖いんじゃなかろうか。私は。だから余計に気を使うし、それで上手くいかなかった場合のダメージがデカ過ぎる。

簡単に言うと、関われば関わるほど関係が悪化していくのが怖い。実際そうじゃなくても、その感覚が抜けない。

「仲良くなりたいから話しかける」があんまり分からないんですよ私。話して好かれると思ってんすか!すんごい自信っすね!!(よっ、卑屈!)

でも実際話したら仲良くなるよね。私は誰だって人間として可愛い所を見つけたら絶対好きになれると思ってんだ。人間を愛したい。愛せない。話したい。知りたい。愛さなきゃ。愛せない。話せない。愛したい。のジレンマと常に戦ってんだ。知らんがな。自分を論破するのは自分で大丈夫です。

ア〜〜この際正しいか正しくないかはどうでもいいな、私がこの問題をどう解決するかだ。いろんな理想と思考と正義が入り混じっていて、難しいな。でも理由がわかってスッキリした。大事にしたいんだ、私は。だからマイナスになるのもマイナスに思われるのも怖くて嫌なんだ。そう思うとシフト被って『ウワ…いる…』って思ってもちょっと許される気しない?しないか。しないわ。

あと、深いところを知られたり話そうとしたりすると、曖昧で適当な関係でいられなくなるのがしんどい。よね。そういえば、他人に私のことをどこまで話したらいいのか分からないのもずっと悩みだ。これに失敗するともれなく「何考えてるか分かんないよね」とか言われるぞ!(自業自得)

マ、悩みも不安も不確かなことも尽きんけど、私の精神は私が解決して、寄り添ってあげるべきだ。家族でも友達でも恋人でも、ましてや医者でもなくてね。

 

 

 

すっっっごい関係無いけど、最近C-C-Bばっか聴いてる最高。「君と原色したいね もっとカラフルに」ってフレーズで堕ちてしまった。「君と原色したいね」なんてポップで可愛くてハートフルな愛の告白ある?!最強過ぎるわ。私もそれになりた過ぎ。

 

さて、春休み感ゼロだった2月もそろそろ終わる。それにしても2月は28日までって決めた人ちょっと頭おかしいよな。ハァ〜ア、3月めっちゃ練習して別人になろ〜〜っと。これはドラムとオカリナとハーモニカの話。