マルベル堂行ってみたい

「人付き合いが苦手」を自称している人達で集まってるの、それかなり「人付き合いが上手」だよ。同じカードを見つけて集まることのできる人だよ。

人前で泣けない、怒れない、人に抱きつけない、人の肌に触れることができない、というか、感情が先走れないことが、悲しく感じてきた。どんなに暗いフリをしたって仲間内で泣いて笑って怒って抱き合える人とは、違うのだ。悲しい。全て自分に問題があることが分かるから、悲しい。

ただ、最初に書いた人たちのせいでただでさえ居場所の無い人が呼吸困難になっているのは事実だ。恐ろしくて堪らない。ブラックなグレーなフリをして集まって明るみを隠す作業は、いい加減にしてくれ。

恨みと呪いと愛を持って生きねばならない。呪いには2種類ある。憧れから生じるものと、そうでないもの。私はその二つをどっちも同じくらい大事に抱えて、「私以外の誰かになりたい」と毎晩泣きながら自分で呪いをかけてそれを呪いによって解こうとするのだろう。

 

私は、出来損ないだ。正しくは、「塚田胡桃の成り損ない」だ。周りの人間が、皆出来た人に見える。というか、きっとそうだ。だって、抱き合って笑ったり泣いたり怒ったりしている。躊躇なく人肌に触れて涙を流している。私もそうでありたかった。自然にそうなれる瞬間があってもいいじゃないか。これからあるかなあ。あるのかなあ。人に怯えて自己満足の末に車輪に巻き込まれて死ぬのではないだろうか。それが幸せならばいいのだけれど。

 

一番悲しいのは、全て自分が一番悪く、自分の至らなさが自分をこうしてしまったことを理解していることだ。何か作らないと、形にしないと、何かをしないと、ダメだ。好きなものに準じた、自分の納得のいく「何か」が出来上がれば、この劣等感に苛まれるのも少しはマシになるのだろうか。勉強と練習と制作、アウトプットをすれば、少しは気持ちが楽になるのだろうか。恨みながら、呪いながら、愛していきたい。

大学生活にタイムリミットを感じているわけではないが、区切りとして、あと2年ある。あと2年間で、私は何かを作ることができるだろうか。人に見せられるものを、作ることができるだろうか。マンツーマンで感情を見せられなくても、ステージの上でそれを爆発させる為の大事な着火剤を、作っていこう。塚田胡桃に成らないと死に切れないものね。

 

今年に入って何度「今年の目標は卑屈にならないことだろ!」って言い聞かせてきたのか分からない。卑屈にならない、卑屈にならない、卑屈にならない、卑屈にならない、卑屈にならない。

 

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