コロッケ食べたい

青空を彩っていた桜もいつの間にか地面を覆う絨毯となり、時折懐かしい香りが鼻をくすぐる季節になりましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか。私はと言いますと、この挨拶を考えるのに5分くらいかかりました。

久しぶりにブログの存在を思い出したので、最近観た映画とか最近考えたこととかをペペッとペペッておこうかなと思います。ってかセブンのチョップドサラダに入ってるの、大っきいクルトンかと思ってわくわくしながら食べたのにお豆腐やったんやけど。真逆じゃねえかよ。美味えよ。

 

最近観た映画はね〜〜「スイートプールサイド」「タナカヒロシのすべて」「すーちゃんまいちゃんさわ子さん」かな。如何にも邦画好きって感じのチョイス。このみっつは大分かなり前から私の観たい映画リストに入ってて、その中でも特に観たかったやつなんだけど。ツタヤで華麗に見つけ出しましたよ。観た順に書くかな。

 

 

「スイートプールサイド」

原作が押見修造で、監督&脚本が松居大悟。この時点で観ない理由が無いんだけど。あっ、先に言っておこ〜。ネタバレしたらごめんね。

とても簡単に内容を説明すると、全然毛が生えない男の子(太田)と、ムダ毛が多くて悩む女の子(後藤)のお話。憧れと思春期と純愛とエロと思い込みが、こうなんとも気持ち良く、いや気持ち悪く、グチャグチャっとした感じ。

途中太田が後藤の毛を剃る場面があるんだけど、そこの描写がまーーーーーーーーーーーーーーー良い。最高。こんなにも可憐で純粋で美しいエロが滲み出ている瞬間があっていいんだろうか。美し過ぎて心がズタズタになった。

太田が剃った後藤の毛を家で貪り食うシーンも良かった。彼が水で流し込んだのはきっと、コンプレックスと憧れと純愛と性欲と思春期の塊。後藤と関わりだしてから太田が少しずつ、少しずつ、人が言う「狂った」状態になっていくのが、なんだかいじらしくて可愛かった。

最後の方で太田が暴れまくったシーンも、1番最後の終わり方も、マジで最高だった。ニヤッとしちゃった。これはもう本当観て欲しい。それに尽きる。これを観て笑う人とは友達になれない気さえする。あと落合モトキの顔が好き。(ここまで書いて寝落ちした)(おはよう)

タナカヒロシのすべて

鳥肌実初主演作らしい。

簡単に言うとコメディチックな「悲劇もの」なんだけど、恐らく同じジャンルに当てられる「嫌われ松子の一生」と違って後味がサイコーなので私はこっちの方が好き。

趣味ナシ恋人ナシ友達ナシの不器用人間タナカヒロシが、突如悲劇に見舞われまくるお話。彼は感情を言葉にしたり態度にしたりするのが苦手らしく、何が起こっても飄々としている(ように見える)ので、痛々しくなくて良い。そんな彼が1番感情を露わにしたのが、父親が亡くなった時でも母親が亡くなった時でも会社が倒産した時でもなく、最後の家族である猫のみやちゃんが病気になった時だった。ああ、それもまた良い。

彼は数々の悲劇に見舞われたけれど、「痛みを乗り越えた」わけでもなければ「大きく成長した」わけでもなく、映画らしい上がり下がりを経験したわけでもない。常に受け身で、奇跡なんてひとつも起こらないのが彼だ。人生はドラマではない。そんな彼だからこそ最後のシーンの「何とかなりますよ」が妙に説得力を持つ。

うーーーん、主人公らしくない主人公、大好きだ。バタアシ金魚の薫みたいな。ワンピースが赤だったらこの映画はベージュだな、、笑

「すーちゃんまいちゃんさわ子さん」

すーちゃん、まいちゃん、さわ子さん。前のバイト先で出会った仲良し3人がそれぞれの人生を歩むお話。最初から最後まで爽やかで和やか。「バイト先で出会った」っていうのが本当にしっくりくる距離感。べったり仲良しで積極的に助け合ったり支え合ったりするわけじゃないけど、一緒にお鍋をしたりピクニックに行ったり、おしゃべりをしたり。お互いを大切に尊重し合っている感じ。親しき仲にも礼儀あり。

これも、特別ドラマチックなことが起こるわけでも上がり下がりがあるわけでもなく、日常の一部を切り取ったような映画。でもそれはとても大切な日常。小さな小さな環境の変化や気持ちの変化で悲しくなったり嬉しくなったり不安になったりするのが人間です。「自分が捨てた方の道も悪くなかったんじゃないか」大きな後悔じゃなくて、ふとした時に来る切なさ。

言葉の選び方がどれも繊細で丁寧で愛が溢れていて、「、、なるほどそう返すのか、、!!」となることがしばしばあった。疲れてしまった時に観たい、「かもめ食堂」みたいな温かみのある映画だったなあ。

私は「日常の中で小さな幸せを見つけて生きていこう」とか「日常を大切にしよう」っていうのを主張してくる作品や人間が好きじゃない。本当に良い日常系映画が言いたいことは、そんな簡単なことじゃないと思うんだ。変わるもの、変わらないもの、変わらなきゃいけないもの、遣る瀬無い、どうしようもないこと、奇跡なんて起きない人生は、切なくて優しくて温かい。そういうことなんですよ。(どういうことなんですか)

さっきも少し書いたけど、一息つきたい時にオススメです。是非に!

 

 

そんでなんだっけ、最近考えたことか。そうだそうだそれだ。

最近新しいバイトを始めて。接客も多いしスタッフ同士の会話も多いし、前までの私だったら諦めていたような職場なのね。

でね、そこで働く上で意識するようにしてるのが、「”自分はコミニュケーションを取るのが下手だ”と思わない」ということ。自分で自分の苦手項目のハードルを下げるということは、それを苦手項目だと自分で認めるということは、ある意味自己洗脳なわけでして。「どうせ出来ない」とか、「出来なくても私は仕方ない」とか、そういう考えに至ってしまって、出来ることも出来なくなってしまうんです。

「上手く喋れない→短所」っていう考え方がそもそも間違いで、「自分はそういうスタイルで人付き合いをする人間だ」ということを、もっと普通に誇ればいいんです。饒舌に話す人が正義でもなければ、饒舌に話さない人が悪なわけでもない。

そうやって思い込んで仕事に臨んだら、今までだったら絶対に言えなかった挨拶、きちんとしたお礼の言葉や謝罪の言葉、質問、雑談、そういったずっと「なんでみんなはそんなにスムーズに出来るんだ?」って思っていたことを、少しの勇気で出来るようになってきた。こうやって少しずつ、接客や大きな声で挨拶をすること、笑顔で話すことが出来るようになっていくのかもしれない。赤ちゃんだから出来ないことが沢山なのですばぶばぶ。

あっ、そういえば私意外と人に道とか聞けるしお店で店員さんに話しかけることも出来るや。話しかけられるのは嫌だしご飯食べに行った時の「すいませーん」は言えんけど。ばぶばぶ。

 

あと、何に対してもある程度の自信を持ってやろうと思う。人付き合いもそうだけど、演奏も、歌も。身の程知らずなことは自分が一番分かってるけど、だからこそ堂々と頑張る。なよなよはダサい。「根拠の無い自信は若い証拠らしい〜〜♪♪」って私のバイブルのひとつである某弾某ニーが歌っていたし。

 

あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、チェッカーズのウィークエンドアバンチュールまじかわですわ。サヨナラ。