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「お父さんと伊藤さん」という映画を観た。ってか今観終わった。原作は小説で、中澤日菜子さんという方が書かれたんだそうな。私がこの映画を観て一番感銘を受けたのが、「白黒が無い」という所。白も黒も正義も悪も無く、誰がどう間違っているのかも、そしてそれが間違いなのかどうかも、作品中全く触れられていない。

これは私が個人的に思うことだけれど、映画や漫画、小説、そして音楽も、「何かが間違っていて、それを正した途端解決に向かう」というパターンのものがめちゃくちゃ多い。敵と味方がハッキリしていて、正義と悪がハッキリしている。それが分かるのは、感情や心情がハッキリと表情や言葉に表れているからだ。そして何を言いたいのかも。つまり簡単に言うと、”道徳の教科書っぽい”作品が、この世には沢山、本当に沢山存在している。伝えたい教訓が伝わりまくる。ギトギトしたレトルト食品みたいな感じに。

そしてこの映画である。(カッコいい入り)簡単に内容を説明すると、兄の家で暮らしていたお父さんが兄の奥さんや孫のことで居場所を無くして、綾(主人公)と伊藤さん(主人公の恋人)の家に来るというもの。「これは何の表情なんだ?」とか「何故ここでこの表情のアップを入れたんだ?」とか「この人の心の中のどのようなしがらみがどういう気持ちをこういう発言にしているんだ?」とか。とにかく、心の動きや発言の仕組みが分からないことが多い。かと言って、奇を衒うような言葉や演出がされているわけでもない。ただただそれはひたすらに日常的で、「登場人物の心の声が出過ぎるような演出をしない」からなのだろう。日常の会話や行動だけで、この映画は成り立っているということである。

実際、映画の登場人物でもドラマの中の人間でもない私達は、そのような世界で生きている。想像以上に誰が何を考えているのかが分からず、確信が持てず、そして理解が出来ない。その点から見ると、この映画は究極の「日常系映画」だと言える。分かりやすい愛情、障害、奇跡、そういったものに頼らないからこそ表現できる繊細な心の動きがある。繊細が故に、観た人の心の中でそれは無数の感情や行動の組み合わせになっていく。良いじゃないですか、とても。(しみじみ)

私がよく言っている「短所と呼ばれる所も長所と呼ばれる所も優劣は無く、全てがただの特徴であり、問題はそれを好きだという人と嫌いだという人がいる」ということに似ている。誰の考えが正義というわけでもなく、悪というわけでもなく、従って誰かが誰かを懲らしめる必要がないのだ。それが日常であり、人間であり、”環境で生きる”ということなのだと思う。

 

少しだけ映画から抜粋して話をする。

最後の伊藤さんの台詞、

「僕は逃げないから」

何から逃げないのだろうか?お父さんから?それとも綾ちゃんから?「逃げない」とはどういうことなのか?逆に逃げていたのは誰なのか?綾ちゃん?お父さん?お兄さん?そこで綾ちゃんの頬を伝った涙は一体何の涙だったのか?最後映されなかったけれど、綾ちゃんがお父さんを追いかけて伝えた言葉は何だったのか?

こういう、正解の無い感情が沢山渦巻く映画だった。

伊藤さんと綾ちゃん、伊藤さんとお父さんの絶妙な距離感もまた良くて。恋人の綾ちゃんよりもふた回りも年上で、特別イケメンな訳でもなく、めちゃくちゃに変わってるわけでもなく、言ってしまえば、ただの「バツイチおじさん」だ。それが、良い。彼の存在が、物事の良し悪しを決めさせないのだと思う。

何度も観たくなるし、自分なりの解釈を固めたくなるし、他の人の解釈も聞きたくなる。やられたー!って感じだ。

 

で、監督誰だっけ?って思って調べたらタナダユキさんだった。見たことある!ってなって更に調べたら、「俺たちに明日はないッス」の監督だった。そりゃーーーーーイイわ!!言われてみれば全体的に絵が地味目な所とか、タナダユキさんっぽい。(後付け)原作の小説は読んでいないけれど、小説の良い所を壊さず映画にしている感じがした。小説も読もうかな〜。

 

最近観た映画の中でもかなりカナリ好きだった。是非観てくれ〜!そして感想を聞かせてくれ〜〜!!んでもってセブンのジェノベパスタうんめ〜〜!!!( ✌︎'ω')✌︎