やっぱキムチ鍋だよね

やっほ〜。一応生きてるよ〜。

 

眠くてもう入りとかどうでも良くなってるので本題入りますね。

 

今日、大学のイベントライブを見に行ったんですよ。学年ごとのやつ。本当はイベントの存在自体を忘れてて、行く気もあまり無かったんだけど。

昨日の夜、そのイベントに出る友達から電話がかかってきまして。色々あって不安な気持ちになってしまったから、話を聞いて欲しいっていう内容の電話。

不安な気持ちになった時に話を聞いて欲しい人が私だったことに驚いたし、誰かのそんな存在になれたことなんて今までに無かったので、やっと人間の仲間入りをさせてもらえた気がして素直に嬉しかった。

で、そんな友達の勇姿。見届けないわけにはいかないじゃないですか。

 

機材の不備だとかミスだとかそういうのはどうでもよくて。(本人達にはきっとどうでもよくない)なんだろうな、めちゃくちゃ泣いたんだとにかく。

正直、歌詞が刺さったとか、曲が刺さったとか、そういうのでもなくて。勿論歌詞も曲も演奏や演出のクオリティも素晴らしかったんだけど。ステージ上の5人の生き様を見せつけられた気がしたし、それが人生なんだろうと思えた。

友達からそのバンドの話を聞いていたからかもしれないけれど、無事に全員が生きて揃ってステージに立てている事が奇跡に感じた。1人ひとり、全員に幸せになって欲しいと感じた。売れるとか売れないとかじゃなくて、1人の人間として、幸せになって欲しいと思った。

私はこの感情を勝手に愛と呼んでいるんだけど、どうなんだろうか。愛しさから流れた涙と言っても間違いではないと思う。

 

ここで少し私の話をさせて欲しい。(これ以上無いカッコいい入り方)

 

私は人前で泣かない(泣けない)ことがコンプレックスだった。それだけじゃない。怒ることもできないし、喧嘩をすることもできない。つまり、感情が盛り上がった様を人前で表に出すことが出来ないのだ!(赤ちゃんレベルの悩み)人は、自分が出来ないことが出来ている人を見るとやはり嫉妬心を抱くもので。どんな人だろうが泣いている姿を見ると、「人前で泣けるだけ良いでしょう?」と思っていた。自分の一番感情の高ぶった瞬間を他人に見せられることは、凄く強いことだと思った。(だから忘れてモーテルズの「弱虫は嫌いだろう 泣き虫はズルいよな」という歌詞に救われてしまう。\忘れてモーテルズはいいぞ!!/)

でも、感情が揺さぶられて話せなくなってしまうくらい涙が押し寄せてきて、それでも人に何かを伝えたい瞬間って、あるんだな。私にも。それになんだかとても安心した。私を二度も人間に近付けてくれてありがとう、たかとん。

その友達のバンドだけじゃなくて、出ていた人全員がとても良かった。カッコよかった。同じ学年で2年以上前から知っている人達だからそう感じたんだろうと思う。

 

なんだか勇気とやる気を貰って、作ったけど恥ずかしさと自信の無さから送れていなかった音源を先生に送った。

私もやるぞ!という気持ちでいっぱい🐜

 

 

 

 

と、ここで一句

 

あったかく なったからこそ 鍋がしたい

 

胡桃丸

 

お腹空いた

 

さよなら