岡村靖幸 聖書

書きた過ぎるので書く。岡村靖幸の「聖書(バイブル)」という曲について。

 

時速560キロで急に語り始めるので、これを読む前に原曲を聴くなり歌詞を調べるなりしてくれると嬉しいザウルス(新種)です。

 

この曲は簡単に、ホンット簡単に言うと、好きな子が中年のおじさんと恋愛してて「同級生の僕の方がいいじゃない!」っていう歌なんだけど。大前提としてあるのは、「岡村ちゃんは冴えなかった」ということ。つまりつまりつまりのところ、彼はスクールカースト上位者ではなかったのです。(私はスクールカーストという文化が大分面白くて好きです)

 

そりゃ勿論 ”校内に中年のおじさんと恋愛してる奴がいる” なんて、友達に知れたらあっという間に高校中に広まるわけです。高校生ですから。鯉にご飯あげた時みたいなもんです。で、恐らく岡村ちゃんはその噂が広まっていくのをただただ見ていることしかできない。それも心の中で「僕の方がいいじゃない!」だとか「僕は君の最新型のベッド」だとか「僕はあいつには出来ないキスのやり方を知ってるからね」だとか思いながら。知らないくせに。なんて気持ち悪いんだ。

”僕の方がいい” 理由が、”同級生だし” ”バスケット部だし” ”実際青春してるし” ”背が179” くらいしか無いのも良い。グミチョコでケンゾーが、自分が周りの俗物と違う理由として ”映画や本、音楽を沢山知っている” ことしか挙げられなかったのと似ている。絶対的な自信と同時に、何も無いことにも気付きかけているような高校生特有の感情バランス。

「誰好きになろうと いいじゃない 私の勝手よ くだらない」という歌詞も、恐らく相手の口から直接聞いた訳ではないのでしょう。彼が自分でそんなことを本人に言えるはずがない。そんな強かな(自分で確認した訳ではないのに)一面も、魅力だと感じているのでしょう。”35の中年と恋愛するティーンエイジャー” というイレギュラー精神を羨ましく思っている節もあるのかもしれない。余計にケンゾーと山口美甘子みたいに思えてきた( i _ i )( i _ i )( i _ i )彼女はチョキを出し続けているのかもしれませんね( i _ i )

進めない岡村ちゃん、を差し置いてズンズン先に行く彼女、のことを朝から晩まで考えて(晩は特に)一人悶々とする岡村ちゃん。めまぐるしいスピードで大人になっていく好きな人を見守ることしか出来ないというのは、しんどいですね。

この曲を聴くと、冴えない非モテ男子が自室の机の前で悶々としてる様子だとか、夜中に歌ってみたりだとか踊ってみたりだとか、そういう風景が浮かんできて仕方がない。Babyを多用しているのも(これは岡村ちゃんあるあるかもしれない)、サビが英詞なのも、全部含めて。

 

特に最初の語りの部分なんて、こんなにキモくていじらしくて愛おしい愛の告白がありますか??!という感じ。最高だ、、。

 

極め付けはこの曲の名前が「聖書」で「バイブル」であること。よ、よ、よよ良過ぎる、、、。

 

 

よ、よ、よよよ、、よ、よよ、良過ぎる、、、。

 

 

 

ハァ、次回は挫・人間の「チャーハンたべたい」の歌詞のすばらすぃさについて書きますね。「趣味が合う 時がある」「君の少食で 僕は太っていく」「君の恋も 夜を食べて育つ」、、、そして「チャーハン」とは何のメタファーなのか、、、こんなことばかり考えて1日が終わっています。そんな夏休み。さよなら。