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岡村靖幸や挫・人間、毛皮のマリーズを聴いていると、あまりの優しさに泣けて来てしまう。何が優しいのか、説明したい。説明したいんだ私は、、キモヲタの一人として、、!!!!!

 

私は、恋愛感情も特定の人間への依存も全て、付属品に過ぎないと思っている。勿論、生きることへの。

だから、恋愛をして馬鹿になるのが嫌だ。

「幸せになりたい」とボンヤリしたことを言いながら適当に恋人を作って、常に悲劇のヒロイン気取っている女や男を、死ぬほど見てきた。馬鹿だと思ったし、思っている。その人の言う「幸せ」が何を意味しているのかは知らないけど、自分の人生を豊かにするのは自分だ。自分にしかできないことだ。もしそれを他人に求めるのならば、その目的に準ずる人選びをするべきだし、それなりに慎重に誠意を持って恋愛をするべきだ。本当に馬鹿だ。馬鹿で馬鹿で仕方がない。救いようがない。その人の言う「幸せ」はきっと、恋愛感情を抱くこと、それを成就させること、それに苦しむことなんだろう。じゃあもうとっくのとうに幸せじゃないか。

 

でも、でもでもでもでもでも、最初に書いた彼らは、そんなものが人生の全てでもいいんだよと言ってくれる。たった一人の女性に、男性に、抱く感情がその大きさや重さや色や匂いが、それ自体が人生になってしまってもいいんだよ、と。他に沢山考えなきゃいけないことがあるのに、その人のことしか考えられない究極の馬鹿になってもいいんだよ、と。

ただの付属品に過ぎない恋愛感情や特定の人間への依存が、人生の全てであっても許される気がしてくる。私はそうは思えないけれど、そう思えないから恋愛をして馬鹿になることができないのだけれど、でもその人の恋人になるかならないかが、生き死にに関わっていても、それがそれを左右していても、人生の全てであってもいいんだよ、と、、彼らは、、、、(大号泣待ったなしザムライ 颯爽と登場)

 

恋愛だけじゃない、家族も友達も知り合いも他人も、そうやって人は人の愛に触れて生きているんだ。そんな愛に準ずる感情が全てであってもいい。そのあまりの優しさに私はありがとうありがとうありがとうと思いながらバチバチに泣いてしまう…。

だからね、自分に全く関係のない、状況も何もかも全然違う恋愛の曲でめちゃめちゃに泣いてしまうのよ。(昔は『恋愛は人によって状況が様々過ぎるから、共感を呼ぶものほど浅はかなのでは?だってそもそも共感しなきゃ泣けなくね?というか恋愛ごときでそんな落ち込むってもしかして馬鹿なのでは??』とか思っていたのに。)(クソマセガキ)

岡村靖幸の「友人のふり」「イケナイコトカイ」「愛してくれない」挫・人間の「下川最強伝説」「過呼吸です。」「セルアウト禅問答」毛皮のマリーズの「愛する or die」「こいをこえろ」「平和」、、、

どの曲も、聴くと家族にも友達にも好きな人にも泣きながら大好きだよと伝えたくなるほど、愛情を許してくれるおまじないのような曲です。でも伝えたい時に伝えられる人なんて中々いなくて、何故かっていうと私も相手も人間だからで。その事実が更に愛おしくて、また愛情で心が満たされてしまうのだけれど。だから、一人でひとつの心の中で愛情が飽和してエーッ!ワーッ?!ってなってしまう。(助けてくれ〜!!)

 

関係性の種類に関係無く、人間に対する愛を肯定されると、私は泣きます、、、キモヲタなのでこのくらいにしておきます、、すみませんでした、、消えて無くなります、、、、