およげ!たいやきくん

およげ!たいやきくん」という歌を知っていますか?「毎日毎日 僕らは鉄板の〜♪」でお馴染みのアレです。

たいやき屋のおじさんと喧嘩をしたたいやきくんが、海に逃げ込むというお話。1番は喧嘩して海に飛び込むシーン、2番3番は海での生活、4番は釣り上げられて食べられるシーンを描いています。今回話したいのは、この4番について。歌詞載せますね。

 

 

いちにち およげば ハラペコさ

めだまも クルクル まわっちゃう
たまには エビでも くわなけりゃ
しおみず ばかりじゃ ふやけてしまう
いわばの かげから くいつけば
それは ちいさな つりばりだった

 

どんなに どんなに もがいても
ハリが のどから とれないよ
はまべで みしらぬ おじさんが
ぼくを つりあげ びっくりしてた

 

やっぱり ぼくは タイヤキさ
すこし こげある タイヤキさ
おじさん つばを のみこんで
ぼくを うまそうに たべたのさ

 

 

この歌詞が、何とも言えんイイ。

「お腹の餡子が重いけど」や「塩水ばかりじゃふやけてしまう」など、自虐的な要素を含みながらも、海で本物の「魚」としての生活を謳歌するたいやきくん。サンゴが手を振っているように見えたり、サメにいじめられたり、それも「魚」らしくて、なんだか嬉しそう。ところが、憧れの魚らしく海老を食べようとした所で、彼は釣り上げられてしまう。どんなにもがいても取れない針、驚く釣り人、たいやきとしての自覚、そうして最後は「魚」ではなく、「たいやき」として食べられる。

「やっぱり ぼくは たいやきさ すこし こげある たいやきさ」この歌詞には、切なさと安堵と安らぎと諦め、そしてやっぱり切なさが同居しているように思える。もがいてももがいても取れない針は、きっと釣り針であり、「自分はたいやきである」というコンプレックスでもあるのだろう。
自分以外になれないことにもがき苦しみ、行動を起こしたにも関わらず結局受け入れるしか無かったたいやきくん、愛しい、分かる。たいやきがたいやきらしく生きて、たいやきとしての生活を全うすることが幸せかどうかなんて、誰にも分からないのです。

「自分らしく生きる」を履き違えないでいきましょうね。私は「自分(の理想)らしく生きる」だと思っていますよ常に。「ありのまま」なのは理想像だけで十分です。

以上ですサヨナラ。