夜寒過ぎ.com

 

「最近の若者はイヤホンをして歩くせいで鳥の鳴き声も知らん」ってある授業である先生が言ってたんですよ。「鳥の鳴き声も知らんやつが音楽やってるとは思えん」と。

 

確かに私はあなたが知ってる鳥の鳴き声を知らない。知らないけれど、最寄駅から大学に向かうまでに聴くあのバンドの音楽の良さを知っている。練習が終わった帰り10時過ぎに点滅する信号を見ながら聴くあの音楽の良さを知っている。昼の浅草線で聴くあの音楽の良さを知っている。夜中にベランダでタバコを吸いながら聴くあの音楽の良さを知っている。

私はあなたにそれを知って欲しいとも、これを知らないでいるなんて、とも全く思わない。

人によって得ている幸せと失っている幸せなんて違うはずなのに、それだけの年月を生きてきてそんなことも分からないのか。鳥の声がいくら良くても、そこから生まれる音楽がいくら良くても、多様性の「た」の字も知らないというのは如何なものなのでしょうか。

しかし多様性を重んじるというのもただの私の正義であって、それを重んじない正義もあるわけで。それがまさしく「多様性」

 

いやはや。

愛を感じて生きている。はず。

鼻息荒め。

 

 

 

 

雲が綺麗にかかっていると、地球って丸いじゃーん、と思います。でも端っこはすぐそこにあるような気がして、地球って半球でもいいじゃんね、と思います。

そんな感じで、はわ〜〜っと生きていきたい。健康とか不健康とか、グワッとなりたくない。狭く深くなりたくない。いや、もういい加減、なりたくない。飽き飽きです。そういう自分も、そういうフリをする人間も、そういう流行りモノも。狭く深くギュッと苦しい感じにならなくても、良い自己表現ができる気がしています。灰皿代わりにしているポムポムプリンのカップの後ろ姿が、そう語っております。グワッてなってギュッてなってキリキリなるのが嫌ってだけなので、色が違ったらそれはまた違うくて。例えば、ニュッてなってオォウッてなって、キュオンッてなったら、それは狭く深いけれど、とても心地の良いものだと思うのです。。

 

 

もはや癖なのだけれど、よく人を文字に例えて考えます。あの子は私と同じナ行出身の人間だけどたまにタ行やカ行が入るから、私がちょっと怖気付いてしまうな、でも私もそれになりたいな、とか。あの子はマ行出身でたまにヒョンッとするから魅力的だな、とか。(気持ち悪いのでやめた方がいい気はしています。)

因みに私はナ行やマ行やハ行の人間に、親近感を持ちます。タ行やカ行、ア行はちょっと怖いな、と思います。

 

 

 

 

は???

 

 

 

みょゅーん。パッ。