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今も昔も、よく夢を見る。

 

昔は「夢の中で夢だと気が付いたら、普段できないことをめちゃめちゃやってやろう!」と決めていて、実際に夢の中で爆食したりしたものだけれど。何時からか、夢を夢だと気が付けなくなってしまった。

 

何故だろうか。今まで考えたことも無かった。

 

あと、大人になってから見る夢にはもう1つ特徴があって。それは、見た後必ず「悲しい」気持ちになっているということ。

 

夢に誰が出て来たって、私は悲しい気持ちになるのだ。そもそも夢に出てくる人間は、大体が過去に出会った人間だから。

小学生の時初めて一緒にお出かけした子、仲間外れにしてきた子(私は忘れないからな)、帰り道に蹴ってきた子(私 は 忘 れ な い か ら な)、同じ部活だった子、初めて親友だと思えた子、たまに話しかけてくれたおばちゃん、ちょっとだけ気になってた子、本当は好きだった子、先生、先輩、後輩、家族。もう関係を持っていない子、帰省したら会う子。全てが私にとって「過去の人間」。だから、悲しい。私は私が思っている以上に人と出会い、そして別れて来たのかもしれない。

しかし忘れてはいけないのが、その相手にとっては相手自身は当たり前に今を生きていて、逆に私が「過去の人間」であるということ。私の夢に出てくる「元A君」は「A君」ではないし、A君の夢に出てくる「元私」は「私」ではない。でもお互いに、「過去の人間」として夢に出てくるのだ。過去の人間がハリボテの看板なのは、夢の中でだけだ。(だから何と言うわけでもないけれど)

 

やっぱり過去の夢は悲しい。かと言って、未来の夢を見るのも悲しくないわけじゃない。寧ろ、過去よりも悲しいかもしれない。

過去の夢は、済んだ別れを惜しんだり懐かしんだりさせるけれど、未来の夢は、今持っている全ての関係がやがて終わるという事実を私に改めて押し付けてくる。そんなこと、とっくのとうに知っているというのに。。

 

最初に書いた「夢の中で夢だと気が付けなくなってしまった」というのも、上に書いたように、見る夢が変わったからかもしれない。

21年間での出会いや別れ、人生経験により夢がリアリティを持つようになり、そこに湧く感情が疑惑心を押し退けている、的な。な。ななな。

そう思うと、小さな頃に見ていた夢こそが、「夢」と呼んでいいものなのかもしれないな。別れなんて知らなくて、全てが想像力で満たされていた頃の。そりゃあ楽しいはずだわ。

 

ああ、もしかしたら人は、歳を重ねれば重ねるほど、生きれば生きるほど、悲しい夢を見るようになるのかもしれない。夢を、悲しいと感じるようになるのかもしれない。

でもそれは愛おしい人間や物事に関わった証拠であって。そして、別れた証拠でもあって。

それを傷跡だと思うと何とも生き辛いけれど、まあ、胃袋の内側に付いたペンキとかだと思うと、「なんかいいじゃーん」って思えたりして。なんか、そういうことで。

私が前に書いた「胃の内側をカラフルにする作業」って、こういうことなのかもしれない。的なね。ね。ねねね。

 

 

夜中に家事をしたら、アドレナリンで眠れなくなってしまいました。私あるある。3時間睡眠。どんと来いという感じで。(ムリ)