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「関係無い」とは一体何なんだろうか。我々はそれを解明すべくジャングルの奥地へと…じゃなくて、「関係無い」とは一体何なんだろうか。何故か分からないけど割とよく耳にする。

「でも周りの意見なんて関係無いじゃん?」「他人が何してようが関係無いよ」こういった感じで。

何故違和感を感じるのか。

恐らくそれは、デフォルトが「関係ある」からなんだろうなと思う。例えば自分の好きな人に対する周りの人間からの評価、これは「関係ある」のだ。今から深い関係になろうという相手の人生にも自分の人生にも少なからず関与している人間の言葉が、無関係なはずが無い。「関係」自体はビッシビシバッシバシあるのだ。では何故「関係無いじゃん?」と言うのか。それは「関係が無いと思いたい」だけだ。あくまで二人の問題としていたいし、「好意」が関わってくる問題に介入されたくない。分かる。友達に「あいつはやめとけ」とか言われるのスッゲェ嫌。分かる。

つまり、好意や自分の強い感情を優先する為に、人はすぐ「でも周りの意見なんて関係無いじゃん?」と言う。だからなんだか強がっているような、投げやりのような、雑な締め方のような、言い聞かせているような感じがするのかもしれない。

私には、関わったことがなくても、存在を知らなくても、やはり生きているものと生きているもの、いや生きていなくても、それは全て関係があるように思える。ただそこに関係があると思いたいか、思いたくないか、思うべきか、思うべきではないか、があるのではないか。

 

私は楽器をしているけれど、上手ではない。まあ言い訳は置いておいて、とにかく人より上手ではない。だから他人の演奏を見るのが怖いし、良いものを見ても「ま、私には関係無いし…」とほぼ無意識で思いがちだ。実際関係はある。

その人の演奏を見た後で私を演奏を見たとしたら…逆に私の演奏を見た後でその人の演奏を見たとしたら…そもそも存在している時点で……ウウウォオオオオオオフヌヌヌヌグググゲゲゴゴゴゴ

でも私は、「関係が無いと思いたいから、関係が無い振りをする」ことに徹する。そう思えるかどうかは、今後の私に関係してくるからだ。ふう、頭がおかしくなりそうだ。

本当はあるはずの関係を無いものとして考えるのは全く悪いことではない。自分にとってそうするべきならそうするべきだ。

さっきも書いたけれど、本当はあるはずの関係を、関係があると「思いたい」か「思いたくない」か「思うべき」か「思うべきではない」か。自分で選べるというのは、生きていく上でとても強いことだなあと思う。人間天晴れ。

 

以上で本日の弁論大会を終わります。(午前6時)

ありがとうございました。(午前6時)