藤井フミヤと付き合う為には

夜になっても気持ちが落ち着かないのは、ハロウィンのせいで東京の夜の空気がお昼のそれになってしまっているからかもしれない。何時まで浮き足立っているつもりだ。夜を返せ。別に良いけど。

私は毎日自分が特別であるように過ごしているけれど、こういう日はみんなが自分を特別であるようにしているから、私が埋もれてしまいそうで怖い。外に出られない。寝ても寝ても眠い。こういう時だけこっち側に来るな、と思う。別に良いけど。

 

-----ここまでハロウィンの夜に書いた-----

 

 

 

-----------ここからは今書いている-----------

 

はあ〜〜、ここ1週間2週間ほどは本当にダメ人間だ。何ってまず外に出られない。大学に行けない。家事ができない。外に出られないなら家の中のことをしろ、と思うけれど、12時間くらい寝ている。起きている時はYouTube祇園笑者や動物の動画を観ている。クソクソのクソ。

 

今日はバイトに行った。いつもと違う店舗にヘルプで行くようにとのことだったので、かなり憂鬱だった。朝から胃薬を爆飲みしたらお腹が痛くなった。畜生め。

自分の出来ることが少ない場所や勝手が分からない所へ放り込まれるのは辛い。何が辛いって、自分の無能さへの申し訳なさで消えたくなる。いつもの店舗だったら自分で仕事を見つけることができるのに、それができない。新人だった頃を思い出す。(今もぺーぺーだけども。)

しかしやはり私の職場は優しくて可愛い人しか居ないなと再確認した。私と同じ年代同じ性別という条件での「優しい人間」という人種に、一番よく出会える場所だと思う。というかそれ以外居ない。全員が優しくて全うで誠意のある人間だ。好き。可愛い。好き。(でもやっぱり元の店舗に戻ると安心感がえげつなかった。つい長居してしまった。好き。)

 

こうやって素敵な人間に出会うと思い直すのは、人間はやはり健康的であるのが良いに決まっている、ということ。身体的にも、精神的にも。

「負」の要素を持ったものは多少の魅力を含んでいるかもしれない。ただその魅力というのは、誰もが持っている小さな負の感情とリンクして「安心」だとか「許し」だとかそういったものから来ているのであって。それは、「狙う」なんて野暮なことをして良い感情なのだろうか。ましてやそれを全身に纏って魅力的な感じに見せるなんて、、罰当たりな気さえしてしまう。というか本末転倒な感じ。

つまりは、わざわざ負に走る必要なんて無いということ。何故ならその魅力は流行りが作り出してしまったまやかしだから。魅力的である為に悲劇のヒロインである必要なんて無い、なれることなら、喜劇のヒロインが最高なんだから。

ま、でも理想形がそういうものであるのならば理想以外はぶっ潰してナンボだと思います。ただし誠意を持って。

取り敢えず、「暗い人間は深い」みたいなヤバ過ぎる認識辞めような。人を暗い明るいで判断するのも深い浅いで判断するのも超絶ヤバたんな思考ですよ。人間を1人ひとりとして見たことが無いんだろうか。私は一体誰にキレているんだ。おしまい。

 

 

 

 

 

全く関係ないんですけど、チェッカーズに「悲しきアウトサイダー」って曲があって。とっても可愛い曲なのに何故かメインボーカルが高杢なの解せなさ過ぎる。何故、何故フミヤに歌わせなかった。フミヤが歌ってたら超ヘビロテしてた。せめて鶴久さんでしょう。本当なんで高杢。なんで高杢なの。なんで。なんで高杢。Why高杢

 

今から星屑のステージを歌うフミヤの真似をします。

 

「むーーーねにーほほーーをうーーーーーーduめーーーーーーーーーー」

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

近い将来のことを思うだけで憂鬱で憂鬱で憂鬱で憂鬱で憂鬱で憂鬱で憂鬱で憂鬱で何もかも上手くこなせる気がしなくてその証拠に身体が全く動かなくてもう本当に何もできなくて憂鬱で仕方がないけれど何とかしなければと思う。状況は変わらないのに気持ちがルンルンな時とその真逆の時って何が違うのだろうか。不思議で堪らん。今も今後も何もできない気がしてしまう。やることもやりたいこともなりたい姿もちゃんとあるのに。将来に不安を持っているとかじゃなくて今や明日明後日それからの全ての毎日に不安を持っている。そういう時期。終わればいいなこれ。終わるんかなこれ。毎日が続いていることが不安で堪らないってこれ沈んだ時いつも言ってるよないい加減解決策見つけたらいいのにな。ってか早く耐性的な免疫的なのついて欲しい。もういいやん何回も繰り返したよこの感じ。でもそれを忘れてしまうからまたやって来るんやんな分かるーーーーーーーーッ!最後にやっと本編来るスタイル。イイとこで主題歌流したい。