メメ(メモの手前の状態のこと)

普通に愛おしい人間がめちゃくちゃ居てそれと同時に可愛いなって思う人間がめちゃくちゃ居て綺麗事が好きだし理想論が好きだし脳内お花畑って言われるけど自分で一輪ずつちょー丁寧に可愛い気持ちで植えた大切なお花畑だから羨ましいでしょって思うし他人の家の犬が亡くなった時その人とワンコの気持ちが優し過ぎて1時間くらい泣いてしまったしもう誰のお家の犬も猫も虫もカエルも死んで欲しくないし〜〜!みんな好きだよ〜〜って言うのは無責任だし流石に雑だから言わんけど、あっ、待って今前に座ってるカップルがちゅーした!うわやべえめっちゃ見ちゃったごめんなんか!!!なんかやっぱ結局一人ひとりが一人ひとりとして楽しく生きてって感じで。

綺麗だと感じたものを綺麗だと言って、悲しいと感じたものを悲しいと言って、優しいと感じたものを優しいと言う。その基準や価値観を括るというのが、まず割り切れてないのに。何が普遍的じゃい!何が個性的じゃい!やかましわ〜〜!(いきなり何〜〜!!)

今日すごく寒かったな。こういう日のアルバイトはキツかったりするけど、アルバイト先の好きな人達が可愛くて優しくて全然キツいって思わないんだ〜〜羨ましいでしょ。

昨日も好きな人達と素敵な時間を共有できてよかった。細かいことは色々思うよ。1秒1秒、考えていることがあるよ。色とか、数字とか、表情とか、声とか。その瞬間瞬間で、変わっていくものがあって。過去のいつにできた部分なのかは分からないけれど、それが心の中のちょっとだけ切ない部分とか懐かしい部分に触れることもあって。キュンとしたりシュンとしたり。あ〜〜〜〜、心動いてんな〜〜って感じで。

後から思い返すと、全部まとめて「好きな人達との素敵な時間」になってしまうのは、ちょっと(大分)雑だけど、それでもいいか!って思えるのが嬉しくて。

あんまり関係は無いけれど、そういえば私は「過去は美化される」ということにとても肯定的だ〜。どんどん素敵なものにしてったらいいし、自分でその後の人生込み込みで味付けできた方が楽しいじゃん〜〜って思うよ、だって楽しいし。

あ〜、それにしても「おばあちゃん」って時折、宗教みたいな存在になったりするよね。小さい頃の自分と同じくらいに、自分の宗教や哲学になってたりするよね。私が小さかった頃家族の中で一番怖かったけど一番優しかったおばあちゃんが、今は怖くなくなったけど。持っている正義は同じで、それをずっと優しく真っ直ぐ持っている感じがして。14歳とかから20歳くらいまででグルグルした思考を抱えている私の後ろで、優しく正義を提示しているおばあちゃん。踊ってばかりの国の「ばあちゃん」という曲がもうずっと何年も好きで、あ〜〜この感じかと今思った。けど、ま、違うかもしれない感覚だ、ぜーんぜん違ってもいい。

 

野菜ジュース飲みて〜。

そもそも昨日書いた文章だから「今日」と「昨日」は「昨日」と「一昨日」なんだよなーっ!でもそういうの好きよ、最高。

愛が貴方を幸せにするんだ世界よ正しく機能しろ!!