メム(メメの手前の状態のこと)

あることに対してとても怒っている人が居たとしてね、私はよく「別にいいじゃーん」って思ってしまうんだけど。それって私がそういう気持ちになった時にも、誰かは「別にいいじゃーん」って思ってるってことで。

誰のどういう行動が、自分にとって遣る瀬無い気持ちだとか、嫌悪感、踏み躙られたような気持ち、迫害されたような気持ちを生むかなんて、人によって違うわけです。

例えば、最近若い子が一眼レフを持って歩いているのをよく見る。それを見たカメラ好きな人が、SNSで「自慢するようなカメラじゃない」とか「ちゃんとした扱い方も知らないくせに」とか「カメラを持つ自分を見て欲しいんでしょ」とか言ってる。一方私はその両方を見て、「別にいいじゃーん、楽しいんだから〜」って思ってる。『カメラを持つ自分を見て欲しい』の何処に問題があるのかが分からない。

でもそれは私がカメラに興味が無いからそう思うのであって。それに精力を注ぎ込んできた人にとっては、「若いガヤガヤした奴らに土足で正義を踏み躙られた感じ」がするのだと思う。

私だって、飼っているカエルやトカゲのことを悪く言われたり軽く言われたらしたら「は?黙ってろクソが凍死しろゴミ屑が二度と口を開くな凍死しろ」ってめちゃくちゃ早口で罵倒すると思うし。でもその状況も他人から見たら「別にいいじゃーん」って感じなんだろうな。

つまりは、人間たるもの価値観のすれ違いなんて起こって当たり前なんだろーなっちゅことで。愛情をかけているもの、大事にしているものがあるという証拠でもあるし。そのすれ違いによって生まれた感情そのものよりも、その感情をどうするかが問題で。それを「怒り」や「愚痴」に変換して提示するのは、やっぱダサいしオシャレじゃないよね。

出来ることならば、愛で返したり提示したりしたい。

私はね、出来れば好きなものの話しかしたくないんだ。誰も否定せずに、誰も傷つけずに、自分の正義を提示することができるから。

人前で怒りや愚痴をこぼすと、それが自分の正義として定着してしまいそうで怖い。それに何かを悪く言う場合、殆どが憶測でほぼほぼ正しくない。人やモノを嫌いたくないし、嫌われたくもない。正しくない上に罪悪感が生まれるし、自分で勝手に嫌いカテゴリを作ってそこにぶち込んでモヤモヤした気持ちを隠すことで、安心してしまう。私はそれが気持ち悪くて無理だ。吐いちゃう。オエオエオー

そもそもが人間やモノは、好きと嫌いの二分割じゃない。全部が個別だ。人も一人ひとりだし、映画や漫画も一つひとつだ。ただそうやってそこに存在している、ポツンとしたもの。

限りなくグラデーションで、色々な色や形の点で出来ている。

そんなことをもう何度も何度も何度も言い聞かせているのに、やっぱりたまに忘れてしまう。

人間をジャンルやタイプで分けた瞬間、私は本当に終わる何もかもが。「ああいう人は」とか「ああいうタイプは」とか、もう一生しないって決めたのに。ついうっかりそういう思考になった途端、すごく周りの人のことが嫌いになる。「お前もお前もお前らもどうせ!どうせ!!!ウワーッ!!!!!!」ってね!(クソだね!) で、その度に「違う違う違うじゃーん!個別じゃんーーー!!人間って!!!」って思う。そうすると、急になんだかみんなが愛おしくなる。不思議だ〜。カムバック情緒〜〜。

 

でもね、でもね、やっぱり他人の正義を踏み躙るような行為や発言は、お互いに控えるべきだし考えるべきだと思う。ハッピーな気持ちで過ごしたいもん〜。

 

だからさ、お互いに好きなものを教え合って素敵な気持ちになるコミュニケーションがしたいよ。自分を許すことは他を許すことだし、他を許すことは自分を許すことだよ。

 

 

 

 

 

は〜、朝から疲れた。(夕方)