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相も変わらず人間と動物への愛情をめちゃくちゃに沢山抱きながら幸せな気持ちでアルバイトをしている私です。好きな人間、素敵な人間、優しい人間、可愛い人間、誠実な人間。みんなみんな、幸せになって欲しいなと思います。

語り出したらかなり気持ち悪いことになるのでしないけれど、シフトに入る度「可愛い社員さんエピソード」が増えていく。好きになっちゃう。勘違いしちゃうよ私〜〜(;_;)

少しずつ自然に言葉を交わせるようになって、言葉を交わすことでお互いに笑顔になる瞬間が増えて、それが本当に本当に嬉しくて、あ〜、嬉しい〜〜(;_;)って毎回なってるな。なんか私、付き合いたてのカップルが少しずつ距離を近付けていくみたいなああいう喜びを、全ての人間関係で感じているみたいだ。めーっちゃ嬉しくて、愛おしくて、奇跡みたいだ。臭い言い方しかできないけど(;_;) 人間関係を築くことにいい加減に慣れろ、とも思う。一生それに感動している気がする。

しかしまあしかし。そうやって自分の中だけで完結していた幸せ時間は、自分よりも明らかに優れている人に出会ったことで少しだけ崩れてしまった。いや崩れてないけど。全くもって。

仕事が出来て、礼儀正しくて、言葉がスラスラ出てきて、人間関係を作るのが早くて、1日目でお互いが笑顔になる会話を出来ている16歳の超美人。ちょっとだけ「あ、そうだ私ってそもそもこれ苦手な人だったんだ出来ない人だったんだ出来損ないのポンコツで誰と何を築くにしても時間を要する人だったんだ忘れてた」って思っちゃった〜。

でもこれは正しい感情ではなくて。他人と自分の間で優劣が存在しているという考えがそもそも間違っているからで。

出来ることと出来ないことを合わせたらきっとみんな0になるなんて思っていない。これは、人生の中で幸せと不幸せを合わせたらきっとみんな0になるなんて思っていないのと一緒。人生も、人間も、塊の集合体ではない。一本の線じゃない。小さな小さな点の集まりだ。それがどういう色や形をしていて、どのように結びついて、どのように外に出ているか。それをどのように感じているか。「それ」がただ「そう」だっただけで。全て、存在しているに過ぎない。

でも自分より人に好かれそうな人とか、人に頼りにされそうな人とか、そういう人を見て自分のことが不安になるのは、とても自然な心の動きで。そう感じるか感じないかよりも、それに気が付いて自分と他人が個であると認識できるかが問題だと思う。少なくとも私にとっては。

なんかね、私がちみちみ築き上げて少し進展する度にヤッタ、、ヤッタヨ、、、!!!!!って一人で呟いていたものが、突然現れた誰かにぴょーんって飛び越えられたみたいな。そんな気持ち。

個人だぜ!人間は!!(最近ずっとこれ言ってる)

 

みんな大好きなので、いっかあと思う。きっと私はその16歳美人のことも大好きになる。

自己暗示と自己解決と自己満足は超絶ハッピーの鍵🐕 めちゃみんな大好き。幸せになって。

 

 

 

 

 

さて、折角なので(?????)私が大好きなダンバインのオープニングについて書こうかな。

「恐れるな俺の心 悲しむな俺の闘志 伸びる炎が正義になれと 雷はねてソォドが走る」

↑めーーーーーーーーーっちゃカッコよくない?!?!?!?!?!

恐れるのは心で、悲しむのは闘志。それが戦争…。戦争における正義とは、それ即ち勝者。恐れる心と悲しむ闘志を携えて、「正義になれ」と自己暗示をかけているような…そんなの悲し過ぎる…。でも戦うしかないんです生きる為には…!!!(大号泣)

ここの部分が二番では

「急ぐなら俺がやるさ 生きる為俺が走る 殺し合うのが正義でないと 知って戦う戦場だけど」

になってるのもイイ。戦争における正義とは勝者であることだけど、それは結果論で。殺し合って得た正義が正義じゃないことなんて、きっと誰もが分かっていて。それでも戦うしかないんです生きる為には………!!!!!!(嗚咽)

全部のサビの最後が「俺は戦士」で終わってるのもめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ切なくてイイ………。イイ…………………。そして俺はキモい……………………………………………。