🧜‍♀️

久しぶりに「夜明け告げるルーのうた」を観た。(ネトフリに入ってるんなら早く言ってよね!)

 

私が過去一「映画館で観て良かった」と思った映画で、過去一「オープニングが好き過ぎる」映画。

この映画には、悪者が居ない。終始、誰もが誰かを想っている。一見悪者に見える遊歩のお爺ちゃんやお父さんも、街の為に、遊歩の為に、行動している。そこが堪らなく大好きだ。

そんな人間達の歪で不器用な愛情を、人魚達が無償の優しさで全て包み込んでくれる。その愛おしさに、涙が溢れてしまう。

悲しさからじゃなく、愛おしさから泣いてしまう映画や本や漫画や音楽はそう多くない。気がする。代表格は小沢健二だと勝手に思っている。多幸感や愛情の包容力………それを言葉で言うのは私には難し過ぎる。悔しい。

ああ、湯浅政明の頭の中で生活したい、ほんとに。

人によって、好きなシーンがかなり違うんだろうな〜 っていうのも好きポイント。因みに私が好きなのは、ルーとカイが夜道をお散歩するシーン。二人が手を繋ぐ瞬間に絶対泣いてしまう。歳の離れた妹がいるからかもしれない。

 

 

それにしても毎日がしんどい。働くこともできず、時間はあるのに何かを作ることもできない自分が嫌過ぎて、毎日何かできることを探している。

ずっと焦っている。

大学を卒業して、世間的には新社会人と呼ばれる立場になって。何をするにも、お金だけが沢山かかって。早く新しいリズムを確立していきたいのに、この状況。大好きなバイト先は今月で雇用終了。こんな形で、終わり。

SNSばっかり見ちゃうけど、一人暮らしと実家暮らしの差が浮き彫りになってる気がして卑屈になるし、世界に受け入れられている人間ばかり目に付いてまた卑屈になる。みんなめちゃくちゃうるさいし。有意義な時間にしよう、って言われなくてもしようとしてる。バトンだかリレーだかもうるさい。また政治の話してる!ぬあ!!って感じだ。うるせえ〜のよ、もう。誰の何も見たくない。

取り敢えず、全部しばらくやめてみようかな。焦って何かを出すのも、他人を見るのも。羨むのも。

 

ルーを観たら、私が常日頃感じてる地元コンプが「かなり割とどうでもいい問題」であることを少し思い出した。地元に残ろうが、上京しようが、生まれがどこであろうが。割と、本当に、どうでもいい。みんなはそれを知ってるかもしれないけれど、私は結構よく忘れる。

 

世界は私を忘れないし、他人も私を忘れない。忘れられたとしても、私は私を絶対忘れない。言い聞かせていくゥ🐌!!

 

ルーのおかげで少し元気になれた気がする。ありがとう🧜‍♀️ お洗濯もしました🧜‍♀️

元気

引きこもり生活にも少しずつ慣れてきた気がする。お金が無い、それなのに働きに出ていない罪悪感、はさておき。

 

晴れた日は晴れた日で、気持ちが良くて暖かくて好きだ。活動開始の後押しをしてくれる。

雨の日は雨の日で、それまた過ごしやすくて好きだ。家の中に居てもいいよと言ってくれているみたいで。

何もしない時間が、すごく好きな自覚がある。遊びに行くのも、何か目的を達成する為に出かけるのも楽しくて良いけれど。何をするか考えないとしたいことが出てこないくらいなら、何をしたいとも思わず、何もしないのが良い。This is 価値観。

 

今日は一日中雨らしい。ずっと降水確率が100%と出ていて、東京、たぷたぷだなと思った。ツイッターで「雷 落ちた」で検索すると、みんな雷が落ちていて少し可笑しい。(無事であれば)

 

そう、さっきも書いたけれど、引きこもり生活に少しずつ慣れてきたので、そろそろ映画や本に手を出しても良いかもしれない。新しいものはまだ早い気がするから、観たことのある映画を観よう。ハッピーエンドのやつ。

ある時から観た映画のタイトルや監督を全部記録していたのが、やっと役に立つ。三木聡の、「転々」とかいいかもしれない。それか、この前映画館で観た「わたしは光をにぎっている」。「グッドストライプス」や「海の蓋」ももう一度観たい。お〜、なんかいけそう。いいね。

ネトフリかアマプラにあってくれることを願って。

 

おなかすいたや、取り敢えず🍙

 

ってかバイトどうなるんだろう。もう胃が痛くなってきたな。

🤤

過去の思い出と、今の思い出が交錯して脳みそが死亡することが結構ある。過去の正義と今の正義、過去の気持ちと今の気持ち、、パターンは無限にある。

グァッ!となる気持ちに一旦待てをかけて、それぞれを丁寧に少しずつ思い出す。

具体的な何かが思い出せなくても、気持ちのフワッとする感じやヌワッとする感じを思い出せればよし。出来事や言動が思い出せれば尚よし。よしよし。いけそうじゃん。ひとつひとつ米粒みたいに愛おしいよ。

 

死ぬ予感強めで生きている。

多分大学に入って少ししてから、ずっと。

中学までは物理的に無敵だったので気持ちがハイパー無敵で。高校では物理的には何も無敵じゃないのになんだかウルトラ無敵で。

大学では気持ちを無敵にする為に楽しく武装している、していた、ぽい。(てか私大学卒業したぽい。)

湧き出てくる無敵感が無いからなんだろうな。

 

死にそうだもん、何かに巻き込まれて、突発的に。

 

コロナ、怖くない?私超怖いんだけど。怖くて外出れないんだけど。

馬鹿にされそうだし迷惑だろうからしないけど、買い占めしちゃう人の気持ちも、ガセ情報をつかまされる人の気持ちも、めちゃくちゃ分かるし。

みんながどんな感じで過ごしてるか分からないけれど、私と私のお母さんはいつもお互いに「死なないで」ってLINEで言い合ってるよ。

更年期だから前々から動悸に悩まされてたけど、それが毎日ある。いつも、ドキドキして息苦しくて、このまま息吸えなくなるんじゃないかってまた不安になって胃を痛めてるよ。

映画とか本を観たり読んだりする時間にしたいけど、息苦しくてそれどころじゃない。ただでさえぐちゃぐちゃな脳内や気持ちに、新しいものを入れられない。有意義な時間なんて過ごせない。怖いな…好きな子に会いたいな…家族に会いたいな…と思いながらプルプルしてたら夜中になってる。

 

なんでこんなに怖いんだろうと思った時に、さっきも書いた普段から死ぬ予感と生きてるからじゃないのかと思うんだけど。その「死ぬ予感」って、こういうのじゃなくて。

なんか、車に轢かれる気がするとか、後ろから刺される気がするとか、事故に遭う気がするとか、そういう突発的なもので。それで外に出られなくなったりするんだけど。

でも、コロナってなんか病気なのに発症して2、3日で死ぬかもみたいなの聞くじゃん。十分突発的だなあとも思うわけで。めちゃくちゃにアホみたいな文章で申し訳ないけども。

 

でも、そうなるとお母さんと死なないでって言い合ってるのもなんだか納得がいく。「心配性」って言われたら終わりですが。

 

バイトも行けなくて、何もできなくて、引っ越したばかりでお金もなくて、情けなさと申し訳なさに苛まれながら親に仕送りをお願いして。親は、お金はなんとかするから、絶対に外に出ないで、絶対に生きていて、って言ってくれていて。だからこそ、絶対に裏切らないように、なんとかして生きねば、と思う。愛を裏切らないように。

 

月並みなことを書いてしまった。

 

 

 

生き物飼育が好きなんだけど、その界隈でも時期によって話題やニュースがあるのが面白い。

少し前だとレオパにイチゴ問題、ホームセンターの爬虫類両生類コーナー問題、最近だとワニを6匹飼い始めた人の話。

何にせよ、実際は何も分かんないよねって感じだ。レオパにイチゴは前例が無いだけで実際のところどうなのか分からないし、ホームセンターの飼育状況はそこで働いている人しか分からない。一概にも言えない。ワニの件は当たり前に本人にしか分からない。

多分世の中のそういう話題の9割がそう。

 

あと最近面白いと思ったのは、「子供を育てること」と「犬や猫を育てること」の違いはなんなんだ!っていう誰かのブログ記事。

少し前だからうろ覚えだけど。

子供を育てる場合は「自分が先に死ぬ前提」だから、子供の自立を目標にする。犬や猫を育てる場合は「自分よりも早く死ぬ前提」だから、最期まで看取ることを目標にする。っていうやつ。

当たり前かもしれないけど、めちゃくちゃウワーーーーッ!ってなった。すごい。その通りだ。

自分が先に死ぬにしろ、自分よりも先に死ぬにしろ、100年でも1000年でも生きて欲しい、と思うのは紛れもなく愛ですね、というお話だった。せやなぁ。本当に、せやわぁ。

 

カエルやトカゲやムカデやモルモット、色んな子たちを家族にお迎えしている私だけど、確かにいつもその子がいずれは死ぬことを考えてしまう。自分が先かもしれないけれど。

ちゃんと看取れるかな、とか、それが寿命であって欲しいな、とか、それまでにどれだけ幸せでいてくれるやろうか、とか、亡くなったら火葬になるのかな、とか。

 

自分に子供ができたら、また知らない感情がたくさん生まれるんだろうなあと思うと、ドキドキする。

 

100年でも、1000年でも生きて欲しいなあ。大切な人やうちの子たちの可愛さを、永久に保存しておきたい。

 

最近涙もろくていけない🤤

 

めも(明け方)

私は"みんな好き"なんじゃなくて、誰かや何かを悪く言うと全部間違ってる気がするし罪悪感で自分を嫌いになるしそのことをずっと引きずっちゃってバリしんどいから嫌いになりそうな気配がある人とは"関わらない"ことで嫌いになるのを防いでいるのか 関わった上で「そういう人もいるよねえ〜」が一番いいのは知ってるしそうするように心がけているしまあ大体はそうなるんだけど ただ徹底されてないせいでポロっとこぼしちゃうことがあったり、ノリでベラベラ喋っちゃうことがあってそれが後からつらい マイナスなイメージがある人のことを嫌いにならないように関わらないようにしているせいで悪い噂だけ聞いちゃって更にイメージが悪くなるっていうの結構負の連鎖な気がしてきたな 関わらないんだったら関わらないで何も感情も持つべきではないし 感情を持ちたいんだったら関わらないと 全部間違いになってしまう 私にマイナスなことを言わせない人との付き合いを大事にしたい けど、安心してるからそうやってボロが出るわけで でもそれは好きな自分ではないかもしれなくて でも私は、にこにこしながら好きな映画や食べ物の話をなんとなあくする関係が理想になっている もう長い間ずっとそう 好きな自分でいさせてくれる人って素敵だなって思うけど好きな自分くらい自分で保てなくてどうするのっていうのもすごく思う で、まあ、気をつけようねって話 人のこと悪く言った自分のことは死ぬほど引きずっちゃうし 誰もハッピーじゃないし 寝れなかったし 死ぬほど思い直していることをまた思い直した 明け方ってやだね何かしらで命を落としそうな気がして不安になる 何回も部屋の鍵確かめちゃう 

 

 

ってか過去の自分のブログ、めちゃくちゃ元気付けられるな 書いておいてよかった 何回も思い直せる 

🏂

アルバイトに行った日ってなんかめちゃくちゃ食べちゃう。ストレスとかじゃないと思う。私ほどバイト先を愛している人間も珍しいから。

でも、1年半くらい前めちゃ優しい友達に「好きな気持ちやプレッシャー、期待や愛情。それ自体はプラスな気持ちかもしれないけど、十分ストレスになるしそれって悪いことじゃないよ。」って言われて死ぬほど理解したのを思い出すと、それかも、とも思う。

そもそも、ストレスって言葉を使う人ってなんかやっぱり「迷惑被ってます」って感じで投げやりで偉そうで好きじゃない。それ相応の働きをしたから言ってるのよね?????ね?????????って思う。

でも、ストレスってマイナス方面からのやつだけじゃない。自分の中にストレスの存在を認めてもいい。愛故だし。力になりたいって思うし。同じこと、前にも書いたな。いいんだけど、別に。


最近また、西加奈子ばかり読んでいる。自意識がアレな人なので。スマホも無いし。

そんな(どんな?)生活の中、私が人間関係の「駆け引き」に抱く嫌悪感の正体は『かますな』『イキるな』『操作してこようとすんな』な気がしてきた。「舞台」の葉太とそのお父さんじゃないけれど、『しゃらくさい』と思うことが多い。恋愛学も、心理学も、現実も。『かますなイキるな操作してこようとすんなしゃらくせえんじゃ』って思う。他人にも、自分にも、すごく。特に自分には、すごく。好きなら好きってまず言えって思う。匂わせるな。操作しようとするな。面倒だし気持ち悪いから。

でもそれと同じくらい、好きな人に好かれたい気持ちって多分もっと単純に可愛くて愛おしい感じなんだろうなとも思う。そう思った瞬間、今までプリプリしていたことに対する気持ちがシューンと静まって、「何処が悪いんだ、、?」ってなる。私の思考は2秒で変わる、だから、きっと何も否定できない。

そうやってグルグルしている中で靖子ちゃんの「IDOL SONG」を聴いたら「好きでいいよ もっと簡単に」と歌っていて、「ァア〜、、」と言いながら頭を抱えてしまった。それなんだよな〜、マジで〜。マジで〜。


これだけ言っておきながら、私は人がめーちゃくちゃ好きだし、「全員が他人ってマジで最高!」と思いながら生きている。ただ、探りあったり察しあったりする時間が、なんか、こう、葉太になっちゃう、のかな、ってね、思うのよ。

もっと\ズン!ドン!!ズバン!!/って感じで人間関係作れたらさぞ気持ちよかろーねと思うんだけど。それはきっと人間では無理なんやろうね。面倒で気持ち悪いところを愛していきたいものですね。本当に、誰よりも、そう思うのにね。


私が「さぞ○○かろーね」っていう言い回しをたまにするのは、フミヤがチェッカーズのラストライブで「ここでぶっ倒れたら、さぞきもちよかろーね」って言ってて「カッケェ、、」って思ったからだよ。(ドクソしゃらくせえ)


ああ、動けなくなるまで何かを食べたい、そんな日、あるよね、そうします。さよなら。

🐌

実家にいた頃、年末には家族で旅行に行くことが多かった。そういう家族とのお出かけが何より好きだったけれど、それと同じくらいなんだかずっと悲しかった。始まった楽しいことは、すぐに終わってしまうから。

あと3日だな、って思った次の瞬間には帰りの車の中。いくら「この楽しい時間を大切にしよう!」と思い直しても、すぐ過ぎて行ってしまう。未来から見た過去は、本当の本当に一瞬。

だから、いつも「また一瞬で今が『楽しかった過去』になってしまう」と思ってお出かけしていた。そうしないと、悲し過ぎるから。

 

大学生活も、全部そうだった。友達と飲んだ時間も、好きなこと過ごした時間も、何もかも、一瞬で過去になってしまった。楽しくて、終わらないで欲しいってずっと思ってた。時間が一瞬で過ぎていくことを、少し忘れてたみたいだ。

過去のことを思うと涙腺がやられる。何が良かったとか辛かったとかそういうんじゃなくて、ただただ出会った人達の顔や、過ごした時間のことを思い出すと、なんだかもうダメ。

愛おし過ぎて、ダメ。

 

最近髪の毛を茶色にした。ずっと怖くてできなかったけれど、案外平気だ。茶髪の私も、私はちゃんと見てあげられている。見失わないでいてくれている。きっと茶色も赤も青もピンクも黄色も、何も変わらない。同じだけの価値を持っている。今なら私は自信を持ってそう言える。

何が何だろうが、きっと私は私だ。見つけにくくなんてない。きっと大丈夫。ずっと眉間に深いシワを作りながら鼻水をすすりながらこの文章をうっている。何が私を感情的にさせているのかが分からないけれど、きっと過去と今と未来の全部だ。景色、街頭、車の色、人の顔、声、全部。愛おしくて切なくて寂しい。

 

変じゃない髪の毛で、変じゃない服で、変じゃない持ち物で生きられる人のことを、ずっと凄いと思っていた。他人にまみれた私のことを、私はきっと見つけられないから。

自分の言動や気持ちが全部他人事に思えることがよくある。自分を見て「あっ、これ私か…」と思う瞬間がある。こうやって自分を見下ろしたような気持ちでのうのうと生きているうちに、死んでしまいそうで怖い。自我とは何なんだろうか。たまに頭がおかしくなりそうになるよ。自分が死ぬ予感がする日が、やっぱりまだあるよ。好きな子にぞんざいな扱いをされる度に、「そうやってるうちに多分私はコロッと死んでしまうけど、大丈夫なのかしら」と思うよ。

 

愛おしさから来る切なさが、不安に繋がってしまった。良くない。

愛おしさから来る切なさは、愛おしさから来る切なさであるべきだね。いやね、好きよ本当に。全部が。

気付き 2019 秋

・モテたいスイッチを入れたら勝手にモテるものだと思ってたけど言動と服装と髪型とメイクを変えないと多分モテない

・最近モテたい

・モッテモテになりたい

・モッテモテのモッチモチ

金木犀バリ良い匂いする

・バリ(B)金木犀(K)バリ(B) 🏍

金木犀の季節、どうやら秋っぽい

・謝罪とお礼を戸惑いながらも出来るようになったので私は神

上地雄輔は神

上地雄輔みたいなヤンキーになりたい

上地雄輔は多分めッッちゃくちゃ良いやつか、めッッちゃくちゃ嫌なやつのどっちか

DA PUMP一曲も聴いたことないけど昔のISSAはマジで可愛い マジで

・ダチ守る系ヤンキーになりたくてたまらない

・踊って歌う男はカッコいい(フミヤ 藤井隆 岡村靖幸)

・私は童顔×長身がタイプっぽい(かまいたち濱家さんみたいなね)

・でも最近熊さんみたいな人すごい好き(大自然ロジャーさんみたいなね)

・私、あまりにもモテなさ過ぎる

・↑想像以上に悲しい

ドラベースは神

・ポコえもん可愛過ぎ問題

・エモルは困惑してる顔がエロい