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実家にいた頃、年末には家族で旅行に行くことが多かった。そういう家族とのお出かけが何より好きだったけれど、それと同じくらいなんだかずっと悲しかった。始まった楽しいことは、すぐに終わってしまうから。

あと3日だな、って思った次の瞬間には帰りの車の中。いくら「この楽しい時間を大切にしよう!」と思い直しても、すぐ過ぎて行ってしまう。未来から見た過去は、本当の本当に一瞬。

だから、いつも「また一瞬で今が『楽しかった過去』になってしまう」と思ってお出かけしていた。そうしないと、悲し過ぎるから。

 

大学生活も、全部そうだった。友達と飲んだ時間も、好きなこと過ごした時間も、何もかも、一瞬で過去になってしまった。楽しくて、終わらないで欲しいってずっと思ってた。時間が一瞬で過ぎていくことを、少し忘れてたみたいだ。

過去のことを思うと涙腺がやられる。何が良かったとか辛かったとかそういうんじゃなくて、ただただ出会った人達の顔や、過ごした時間のことを思い出すと、なんだかもうダメ。

愛おし過ぎて、ダメ。

 

最近髪の毛を茶色にした。ずっと怖くてできなかったけれど、案外平気だ。茶髪の私も、私はちゃんと見てあげられている。見失わないでいてくれている。きっと茶色も赤も青もピンクも黄色も、何も変わらない。同じだけの価値を持っている。今なら私は自信を持ってそう言える。

何が何だろうが、きっと私は私だ。見つけにくくなんてない。きっと大丈夫。ずっと眉間に深いシワを作りながら鼻水をすすりながらこの文章をうっている。何が私を感情的にさせているのかが分からないけれど、きっと過去と今と未来の全部だ。景色、街頭、車の色、人の顔、声、全部。愛おしくて切なくて寂しい。

 

変じゃない髪の毛で、変じゃない服で、変じゃない持ち物で生きられる人のことを、ずっと凄いと思っていた。他人にまみれた私のことを、私はきっと見つけられないから。

自分の言動や気持ちが全部他人事に思えることがよくある。自分を見て「あっ、これ私か…」と思う瞬間がある。こうやって自分を見下ろしたような気持ちでのうのうと生きているうちに、死んでしまいそうで怖い。自我とは何なんだろうか。たまに頭がおかしくなりそうになるよ。自分が死ぬ予感がする日が、やっぱりまだあるよ。好きな子にぞんざいな扱いをされる度に、「そうやってるうちに多分私はコロッと死んでしまうけど、大丈夫なのかしら」と思うよ。

 

愛おしさから来る切なさが、不安に繋がってしまった。良くない。

愛おしさから来る切なさは、愛おしさから来る切なさであるべきだね。いやね、好きよ本当に。全部が。