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普通に13時間寝た自分に軽く引いた。

 

アルバイト先で好きな社員さんが、ドタキャンで辞めた。その人についての詳しい事情を、昨日聞いた。優しさ、責任感、焦り、嫉妬、羨望、やりたいこと、やりたくないこと、好きなこと、好きじゃないこと、それに付随した身体、言動、結果、それを見る他人。一言で言うと「人間かよ…」って感じだ。しかし、どうにもこうにも彼女が優しい人間であるということは間違いなく、私の好意も間違いのないことで。言動の正誤と人間性、それに対する好意は恐らく繋がらないから。

とにかく、好きとか嫌いとか正しいとか正しくないとかいうことよりも、今悲しんで苦しんでいるであろうことが何故だか私も切なくて仕方がない。その数日前シフト被ってたやん、話せやちょっとくらい。和やかに笑顔で手振ってお疲れ様でしたしてる場合じゃなかったでしょうに。

好きな人にはそれぞれにそれぞれの形で幸せであって欲しい。それがもしも私と関係するところや私の好きな場所であったら、当たり前に嬉しい。

人間だからな、人間なのにな、あ〜〜、せっつねえのな〜〜、、

 

「ふきげんな過去」という映画を観た。久々に全然理解が出来なかった。最後までみきこ叔母さんが嫌いだった。自由奔放で他人を巻き込む感じが魅力として描かれてる人間が、な〜んかあんまり好きじゃない。さとえさんの気持ちを思うと居た堪れなかった。自分の姉と自分の旦那との子供を押し付けられて、後々死んだって聞かされてたのに突然ひょっこり現れて子供に絡んで連れ回して。「なんじゃこいつ図々しっ」ってずっと思ってた。共感の有無は価値の有無に繋がらないので、もう一回観てみるけど、、

 

なんか憂鬱だ。昨日20時くらいに起きて、「なんか憂鬱かもしれない」と思っていたら午前5時になっていた。

無駄な時間なんて無いように思う。暇な時間なんて無いように思う。何もしていない時間を、どうしても無駄だと捉えられない。何もしていない時間がないと何もできない。他人より、できていることが10分の1くらいな気がしてくる。けど、無駄な時間だとは思えない。そんな失礼なこと、できない。

 

もう半年くらい5時45分で止まっている部屋の壁掛け時計が、この前ふと見たら6時前になっていた。こわっ

 

好きな人間のことを思うと、挫・人間の「笑いあうために」の「一千年経っても君の可愛さを名前を付けて保存しておくように」を思い出して切な愛おし切なくなりますね、分かる〜。なんか人間が優しいのが嬉しくて人間だから切なくて性悪説が苦しくて悲しくて泣けてきた愛し合って許し合って生きていけばいいのに誰なの一体人間でしょどうせ私も貴方も自分と他人を同じように愛せ他人を憎むふりなんてする必要あるかね。他人は他人だし私は私。私が生きやすい生き方を選んでいるのも私。私じゃない人が生きやすい生き方を選んでいるのも私じゃない人。分かってるそんなことあったり前じゃん。しかしなんでか分からんが無理過ぎる。血の気も引くくらい切ない。切な過ぎる。なんだこれは!