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22歳になった。

 

私たちの世代の子はきっとこの時期に神聖かまってちゃんの夏休みシリーズを沢山聴くんだろうな。私もそうだし。

22才の夏休み、私はどうなっちゃうんだろう!って思うもんな。23才も、26才も、33才も。

因みに私は23才の夏休みを一番よく聴いていた。けれど、最近出た33才の夏休みが本当に本当に良過ぎて、今はそればっかり聴いている。

なんだか、『許された感』にめちゃくちゃ泣いてしまう。

挫・人間の「笑いあうために」を聴いた時と似た気持ち。

 

最近の私はめちゃんこ穏やか且つ愛に溢れていてしかも「卑屈にならない」をテーマに掲げて生きているので、「誕生日おめでとう」を素直に受け止めて喜ぶことができる。ずっと持っている申し訳なさとか情けなさとか不甲斐なさとか、それが消えるわけじゃないけど。年齢という概念が性別と同じくらい苦手なのも、生きているだけで他人に祝われるような人間じゃないんだけどなっていうのも、まだ全然あるけど。

少なくとも、自分が生きていることに対して肯定してくれる他人の存在を心から喜ぶことができる。それが、なんか良かったなあと思う。この精神状態で成人を迎えていたら、私は成人式に出られていたかもしれない。

あの時は、「祝われるようなこと何もしてないのにな」とか、「ただ生きたことを自分で祝われる為に着飾って集まるの図々し過ぎ」とか、そんなことしか思えなかった😞

自分の人生に他人を介入させて考えると、どうしたって生きることがマイナスに思えて仕方がなかった。上手にできないし、誰のお金も時間も、私の為に使っていいようなものではないし。

でも最近はきっとそうでもないと思えている。自分は自分で楽しい気持ちになる為に生きていて、他人もきっとそうで。それだけで十分だけど、そこが繋がってまた予想もできないような感情や出来事があったら、めちゃ楽しいもんね〜。それだけなんだよね、きっとね。

 

爽やかに生きたいものです。本当に。

 

優しい気持ちになれない人は、自然と泣いちゃうくらいオザケンを聴き込んだらいいと思います。知らんけど。愛情の多幸感と切なさに気が付けたら、いいと思います。知らんけどな。