明るいブログを書こう

他人の才能に興味がないふりをしているが自分以外の人間をしっかり見ると嫉妬と羨望と邪心で消えそうになるからだし、他人全員本気で心から愛しているがどうなろうが知ったこっちゃないので本当は嫌うことへの罪悪感や自分が生き続けていることへの罪悪感から逃げているだけできっと愛していない。

でお馴染みのくるみです。元気してますか。してたりしてなかったりですよね。

何もしていないせいでその日その日の気持ちの機微が全て言動や体調に現れる毎日。

 

曲を作ったり、詩を書いたり、文を書いたり、一応している。したい時だけ。何もしていない時間が9割だけど。つらいな、、明け方って、、なぜこんなに、、??

 

夜に起きて夜が明けて春雨食べてゴミ捨てに行って。ああ、私の人生ですね、といったような。

 

中学の時、吹奏楽部に所属していた。同じ学年で同じ楽器で似た体格で仲良しな子がいて、見るからに私より楽器の才能があってすごい嫌だったのを、何回も思い出してしまう。

勉強もしないでヘラヘラしててなんか嫌だなって思ってたら、楽器推薦で高校行ったのも嫌だった。仲良しだしいい子だし悪いのは私だし誰にも何も言えなかったけど。でも、私の方が勉強できるのにってずっと思ってた。

更には人に好かれる才能もずば抜けていた。先輩にも、後輩にも、先生にも。私にはそれが皆無で。先輩には嫌味言われるし先生には怒られるし後輩には特に慕われないし。あ〜、なんか、後から思うと、結構辛かったんだよな。私に無いものを全て持ってる気がした。

テスト前に自主朝練来なかったらあとでぐちぐち言われるのとか。ずっと、私は「勉強もしない馬鹿と一緒にしないで欲しい」って思ってたよ。(傲慢…)

 文句や弱音ひとつ言わず(言えず)、よく頑張ってたよ私は。中学時代が一番偉かった。

辛いのが偉いわけじゃないけど、辛かったのに全部頑張ってた可愛い私を私は褒めてあげたい。

考え方は幼稚だけど、この感情は私が間違ってるし良くない、って自分でなんとなく気付けていたのも偉い。分かるよと抱きしめてあげたい…

 

流れで昔の写真を見返していた。写真も動画もよく撮るので、カメラロールがすごいことになっている。

7年前、5年前、3年前、1年前、昨日、今日

全ての自分が他人に見える。

 

こんな状況なのも相まって、「生きている実感が皆無だ…」って毎日思っている。けれど、それがあったことなんて今までもそんなに無かった気もする。1日でも過去の自分が全部他人に見えるのと同じように、今の自分もかなり他人に見える。

昔どんな感覚で過ごしていたかが分からないからもう一度戻ってみたい、とも思うけれど、それが叶ったところで私はまた何も分からず、歳を取る。きっとそういうものなんだ。

現実に現実味が無いまま、嬉しいことや楽しいこと、遣る瀬無いこと、辛いことが過ぎていく。今が何なのかが分からない、自分が何をしているのかも、分からないまま。

今生きている一瞬だけ、「分かる」状態が続いているのかもしれないとも思う。

でも確実に言えるのは、一瞬一瞬感じる気持ちのトキメキが確かにあるということ。それを忘れないように、他人事にしないように、気持ちを自分のものにする為に、何かを作るのは結構正しいんじゃなかろうか…と思うわけです。ポエマーみたいなこと言っててかなり気持ち悪い。キモい自覚はあるので見逃して欲しい。

何に入れ込まなくても、自分の気持ちは自分のものなんですけどね。知ってるつの!

 

ここまで言っておきながら、中学の頃の話は、実はかなり自分のことである自信がある。

高校に入ってから今までの、つまり自我が芽生えてからの自分が、その時その時で存在しているだけで今の自分とは他人な気がする。今も、その時も、自我があるからだろうか。

そしてこんなことを言っておきながら、高校と大学はめちゃくちゃ楽しくて好きだった。し、「愛……」という感じだ。みんな大好き…

 

明るいブログを書こう!(戒め)