🙇‍♀️

地元に帰ると、心の中の忘れていた箇所を揺さぶられるような種類の、感情の動き方をする。なんだか今回は特に何度も「感情がな〜〜…」と思った。冴えない顔をしていたかもしれない、と不安になる。

どうしても神奈川での生活が夢の中のようで、地元に帰ると現実のような、そしてまた夢の中に帰っていくような感じがする。新幹線は一体に私に何を飛び越えさせているのだろうか。どちらにも人間が生きていて、繋がりを形成していて、私も少なからずその輪に入っているのに。新幹線で通り過ぎた全ての地域で、人間や街は生きているのに。

でもそう感じるのも、仕方がない気がする。だって18年を、地元で過ごした。家族や、そこでの友達と過ごした。いくら何がどう変わったとはいえ、神奈川に住み始めてたった3年だ。年月や年齢という概念は自分の中から追い出して日々を送っているけれど、それは何というか、事実であって愛であるので追い出しようがない。追い出したくはない。

切ない。家族の寝顔を見ていると、友達の近況を聞いていると、過去が頭をよぎると、未来が頭をよぎると。全てが愛おしくて、その分切なくて悲しくて困る。福井での愛おしみ、東京での愛おしみ、お互いの切なみ。本当は、愛しているならば、その瞬間の愛おしさや好意をプラスなものとして表に出したい。だってそれが誠実だと思うし、きっと伝わるから。先や過去を思って愛情と共に切なさが湧くのは仕方がないにしても、その瞬間を大切にできていなかったらきっとそれは失礼で不誠実なことで。

でも、でも、切ないし寂しいし人恋しいし悲しいんだ、どうだ、情けないだろ。

情けなくてもキモくてもキショくても、仕方がないじゃないか……………………😢しゅん

 

言うて3日後、野暮用で福井にまた帰らなきゃいけない。気合い入れてアルなバイトに行かなきゃですね。まずは遅刻しないこと。

ざぶぶやトッドさん、うなぎまるさんにも無理させてしまったから、沢山ありがとうと言ってしばらく様子をしっかり見ておかなきゃです。ありがとうねえ。(もう泣きそう)

好きだな〜〜、何もかもが。

悲しいって言うとしっくりくるけど、それって被害者面して解決しようとしてるからで、正しくないな。悲しい。馬鹿だな〜。