飲み会の後って食べた後なのにお腹空くよね

お母さんに「『麩』に『ふ』って名前付けた人、センスと自由度がヤバイよね、絶対響きと平仮名の形から付けてるやんな」って言ったらよく分からない顔をされました。

 

高校の同窓会があった。最初こそ緊張と不安で震えていたものの、始まってみればとても楽しい空間だった。2年ぶりに会った人も、半年ぶりに会った人も、みんなキラキラしていて可愛くて愛おしくて人間っていいなと思った。お酒も入っているので、高校時代中々話せなかったような人ともヘラヘラ話せた。(ヘラヘラ大声で話したりベタベタ身体に触ったりしてしまったのは、今になって申し訳なかったな、と思っている。でも本当に話せて良かった。でも申し訳なかったな、とやっぱり思う。お酒が入るとどうも馴れ馴れしくなる。)

この2年間の殆どを神奈川で一人で過ごしていたので、福井に帰って来て2年ぶりに会う人や見る景色を体感すると、その2年間をショートカットしたような、異空間を行き来しているような、不思議な気持ちになる。当たり前だけれど、あそこにいた全ての人間が1人ひとり違う場所で違う2年間を過ごして、また同じ場所に集まっていた。すご。人ってやっぱり会うと好きになるし、話すと好きになる。会っていない状態、話していない状態を勝手にマイナスイメージとしているからかもしれない。

ところで、過去の出来事を「過去のもの」としてセピアフィルターを掛けてしまうのは正しい対処なのだろうか。それとも「現在の問題」としてきちんと解決しなければいけないのか。今までの帰省でも思ったけれど、こういう機会があると、過去のものとして踏ん切りをつけていたものが急に色味を変えて出てくる。でもそれはきっと、イベント的な要素ありきなんだと思う。それを引きずっている振りをして、現在の解決に繋げようとしているんだと思う。逃げだ。と、思い込むようにはしているし、して来た。無理やり茶色いマーカーでピピッと線を引いていた。ただ、なんか、やっぱり思うところはあって、少し心がしくしくすることもある。全部を捨てて1から始めることはすごくやり易いけれど、1から始められた気になっているだけのことが多いのかなあ。だったら過去の後悔から全てをやり直したい。やり直したところで別の後悔が出て来て「アーァ」と思うのだろうな。アーァ。

話逸〜れた。過去に悩んで出した決断に間違いも何も無いと思うけれど、たまにアーァと思ってもいいよね、ね。それを今どうするべきかが分からないな。当時の自分の気持ちと今の自分の気持ちに理屈をつけて、納得するしかできない。口にすると壊れることって、多分きっとあるんだ。さっきカラオケで『恋も雑にしちゃったし 今は何もピンと来ない 浮腫んだ身体で それでも立ちたい』と歌ったけれど、雑にしてないよ、ね、多分。雑にしたこともあったけれど、雑にしてない、雑にできないから何年経ってもアーァと思っているんじゃないか。なんちってね。はばばば。生きるか死ぬかで彷徨ってるんだから、たまには恋愛とかで悩んでもいいじゃんね!(まさか私が恋愛で悩んでいたとは!人間じゃあるまいし!!)

でも、どうせ生きるならはっぴーらいふにしましょっとは思ってるのよ🐳

脳みそ専門のお医者さんがいるんだもん、難しいことはきっと沢山あるんだ。だから私が全部を解析できないのも、仕方がないんだ。好きとか嫌いとか一生かけての付き合いでいたいとか恋心とかめっちゃ難しいもんな。どの気持ちにも悩みや迷いや不明点がある。仕方ないのよね、きっと。悔しいけど。高校生の時から恋愛に対する感情が全然成長してないのかもしれない。マジか。

お酒飲んでる自分めーっちゃうるさかったけど、楽しかったなあ。昔の気持ちに戻るのは、良いことでも、悪いことでもない。けれど、とっても楽しいことだ。それに、好きの気持ちがいっぱい増えた気がする。良かった良かった。

おしまい。

仕方ない、とは言いつつ、ちょっとちゃんと考えようは思うのでした。「しっかりしなければ」とつくづく思う、日々思う。