土下座ブログ

私は「理想論」「綺麗事」という言葉を悪い意味で使う人がと〜〜っても嫌いだ。

何故かというと、そういう人達は理想を否定することで現実を見た気になっているからだ。そうやって自分が気持ちよくなる為に、美しく本当は目指すべきである所を間違いだとするからだ。

「現実を見る」というのは、「理想を捨てる」ことや「理想を貶す」ことではない。「理想を忘れずそれを前提とした上で、自分ができること、やるべきことを見極める」ことが大事なんじゃないかなあ、と、勝手に思う。勿論饅頭を揚げながら。

理想も綺麗事も語れなくなってしまったら、一度どこかで全部考え直した方が良いと思う。何故なら私がムカつくから。

 

こんな話をするのも、先日私が「殿、利息でござる!」というちょんまげコメディを観たからだ。百姓が殿に大金を貸し、その利息で村を賄おうという内容のもの。

これが正に、献身愛そのものだった。

村を助ける為に何千万という額を投資する。家財を売り払い、店を潰してまで。その金が返ってくることもなければ、他言禁止なので褒められることもない。それでも彼らは迷うことなく、投資する。村の為に。私は、その行為自体が「素晴らしい!」と言いたいのではない。ただその献身的な愛を美しいものだと思える心を持っていたいと思うのだ。自らを削り相手の為に尽くす愛が最高だと言っているのでもない。愛の形は様々で、恐らくそれぞれがそれぞれに美しい。ただ、愛は美しいと言いたい、だ、だけ、(恥ずかしくなってきた) 

 

一旦話は変わるけれど、私は最近聖書を少しずつ読み進めている。が、読めば読むほど、何かしらの違和感が強まることに気が付いた。結局それが何か分からないまま過ごしていたのだけれど、友人から初めて「サタニスト」というワードを聞いて、それについて調べた時、ピンと来た。「理想論」だからだ。

サタニストという考え方は、つまり聖書の逆である。「やられたらやり返せ」「自分を愛してくれる人だけ愛せば良い」みたいな感じの。(違ってたらごめんネ) それを、「現実主義者」と呼ぶ人もいるらしい。彼らは、聖書はただの理想論に過ぎない、と言う。(違ってたらごめんネ) ここで先程も書いた、私の個人的な考えをもう一度書く。

 

「現実を見る」というのは、「理想を捨てる」ことや「理想を貶す」ことではない。「理想を忘れずそれを前提とした上で、自分ができること、やるべきことを見極める」ことが大事。

 

この私の個人的な考えだと、サタニストは決して現実主義者などではなく、聖書は理想論であることが正しい、ということになる。

そして私が聖書に対して抱いていた違和感は、聖書を理想論ではなく絶対的な行動を伴うものとして見ていたことによるものだったのではないか?と推測できる。

 

これは先程書いた「殿、利息でござる!」の話と同じようなもので。例えば聖書には、「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」という有名な言葉がある。これはその行為が「素晴らしい!」言いたいのではなくて、「そういう精神が理想としてあるんだということを、忘れるべきではない」ということ。なのだと思う。(自分でも訳が分からなくなって来た)

つまり、聖書は理想論であるべきだということ。そしてそれを「ただの理想論じゃないか」と貶す行為は、全くもって貶せていないということ。そういう人に私は、「理想論を尊ぶ心を取り戻せ!」と言いたい。

聖書に書いてあることが正しい、と言いたいのでもない。考え方なんて何でもいいし、私だってキリシタンではないし、既存の神やらなんやらに縋るなんて馬鹿馬鹿しい。神は自分で創造するものだ。ただ、自分の中の理想を忘れず掲げた上で今できる行動が伴った時に、初めてそれは「現実を見る」ということになるのではないか、と思うのだ。

 

ふぅ

 

 

で、何の話してたんだっけ。「殿、利息でござる!」のナレーションの濱田岳が可愛過ぎるって話だっけ。ってか中村義洋濱田岳好き過ぎだろめっちゃ好きだよそのコンビ!って話だっけ。「アヒルと鴨のコインロッカー」もすごく良かったし、「みなさんさようなら」もすごく良かった。ただ欲を言えば、サスペンスが絡んで欲しくなかったな、ということ。人が死ぬのを間近で見たからそうなってしまったとか、それがトラウマになってしまったとか、そういうの、そういう理由らしい理由があるの、なんか萎えるなあと思う。何もなくて、何も無いけれど、何も無い日常が、日々の憧れが、抜けない感情が、彼らみたいな青春依存を生むことって、あると思う。(読点が多いね) サスペンスが絡んだから(一般人が言う)「おかしく」なった、とか、求めてなかったりする。私は。でも「みなさんさようなら」なんかは、サスペンスが絡むものの、それが決定的な理由じゃなかったりするんだな。寧ろ否定的だったりする。とにかく良い映画なんすわ、、、常に切なさが流れてるんすわ、、、

 

何が言いたいかっていうと、濱田岳と結婚するのは私が良かったってことですさよなら。

 

(追伸)

「あ゛???」って思った人がいたらめっちゃ謝るので許してください。土下座ならできます。あとはブログでも開設してそこに持論書いといたらいいと思います。読みませんが。