ちょす

いちごのサンドイッチ買ったのにどっかやっちゃった、あーあ。

最近思ったこととか気付いたことをメモ程度に書いておきます。

 

①「好き」と「嫌い」について。

私はパッと見て苦手だなと感じる人でも、絶対にどこかひとつ人間として愛おしいと思える部分があると思っていて。そこに気が付けば、人を嫌いにならなくて済むんじゃないかなとずっと思っていたのね。丁度一年前くらいに1番強く思ってた気がする。人を嫌いになるのって私結構体力を使うというか、言ってしまえば、自分で自分を悪者にしてこれ以上自己評価を下げることが、すごくしんどいなと思う。でも私はこの前書いたみたいに、ずっと会っていない人や話せないに対してマイナスイメージを抱きがちだし、「この人とは一生話せないだろうな」ということをすぐに決め付けて諦めてしまう。(声が大きい人と道を塞ぐ人が死ぬほど苦手)元々そういう節があるから、これ以上は、って思うのかもしれない。

悪口を言われるのが怖いし、私のいないところで私の話が出るのが怖い。自分が誰かのマイナスな話を他人と共有してる時の感情も気持ち悪くて本当に嫌だ。会う度に誰かの悪口を言う人と同じ空間にいるのはしんどい。大きな声で私だったら絶対に言われたくないような言葉が聞こえるのがしんどい。その、人を嫌いになることで生まれる感情や出来事の数々が悉く意地汚くて、嫌だ。その人の何もかもが嫌い、なんて、絶対に言えないんだもの。自分のことも理解できない人間が、他人なんて理解できるはずがない。だから、私は個人を嫌いだと思いたくない。

と、まあ、こういう考えだったのだけれど。最近新しく知ったのは、「嫌い」という感情を認めてあげることは「好き」を大切にすることと同じくらい大事だなあということ。上に書いたように、愛そう、嫌いじゃない、だってこういうところは愛おしい大丈夫、と思って生きていると、これはこれでかなり疲れるんです。もしかして、自分の感情に催眠をかけているだけなのかなと思うこともあった。人と会う度にその過程を経なきゃいけないから、人と会うことが余計に億劫に感じた。「愛さなきゃ」という気持ちでいっぱいになって、本当に好きな人なんているのかと思ったり、実は苦手なところを水で流し込んで飲み込んだりしていると、気持ちがガリガリ削られていく。

「嫌い」を認める、というのは、人一人の中に好きな部分と嫌いな部分があって当たり前だということ。だから自分にとって、ひとつの「嫌い」を持っている人自体を嫌いになって、その人の「好き」なところに気が付けないのは違う。逆にいくらかの「好き」を持っているからといってひとつの「嫌い」を「好き」に変換する必要も、無いと思う。「この人のこういうところは好き」「この人のこういうところは嫌い」というのを、どちらともフラットな目で受け入れていきたい。

少し話は変わるけれど、某MAMAに「悲しみが悲しみで悲しめるように 喜びが喜びで喜べるように」って歌詞があって、その感じと似ている。悲しみを悲しみとして悲しむことは、とても丁寧に誠実にその物事を受け止めていられる気がする。し、その分喜びは喜びとして思う存分喜べると思う。悲しいと思ったことを無理やりそうでないものにする必要なんて、無いんじゃないかなあ。だから私は悲しい夢が「吉夢」だというのが、どうしても受け入れられない。例えば夢で大切なものや人を失って、それが「良いことの前触れ」だって言われたところで、私は喜べない。喜べるはずがない。

本当に話変わっちゃった。

つまり、一見否定的なことや感情を受け入れて大切にすることで、別の感情をも大切にすることができることって、絶対にあると思うということなのです。

それで、好きなところは他人と共有すればいいし、嫌いなところは自分だけが分かっておけばいい。みんなが愛されるべき人間だ、という理想は、やっぱり捨てずに大事に心に留めておきたいなと思う。因みに恐らく、何をどうしたって嫌いな人はいる。と、思う。

誰かの嫌いな部分だけをピックアップして会話に取り入れる人って、結構かなりわんさかいる。「うるせえよ!」ってスリッパで顔殴りたい。以上です。

んーーー、あと!みんなが好きな人を好きになる必要も無いと思う。これは自分に言い聞かせてるだけだけど。笑

 

②ステージで話す方が人と話すより緊張しない

これはヤバ過ぎる発見だった。私は授業内の自己紹介、3人以上での会話で私が発言している瞬間、そういう時にすぐ声や顔、身体が震えて何も発せなくなってしまうという積年の悩みがありまして。ネットで調べても中々解決策も見つからず、どうしたものかなとずっと思っていたのだけれど。(緊張のせいだからリラックスするといいよ!とかしか出てこなくて、本当に困った。緊張しないように何度深呼吸して気持ちを落ち着かせても、話し始めると震えてしてしまう。身近な目線に注目されているということ、また、誰もこの話を求めていないのかもしれない、上手く話せないから焦る、ごめんなさいという気持ち、色んな気持ちがグルグルして目が回ってしまうのが原因なんだろうなとは思う。)

そんな私が今回、初めてステージ上でのMCをやってみないかというお話を頂いて。正直「人選ミスクソワロ」と思ったのだけれど、少しでも上に書いたことの克服に繋がるかと思って決めました。荒治療待った無し。

どんな悲惨なことになるかと思ったけれど、ステージに上がると思いの外緊張などはせず。震えることもなく。そもそも初めての試みだったので、至らない所は沢山あったとは思うけれど。

ステージから降りて友達と会話する方がよっぽど緊張する私なのでした。手汗。

 

多分他にもちょこちょこあったけど忘れちゃったので取り敢えずはいーや!早く髪染めたい、ね、じゃね。手は洗えよ。