雪虫って言葉使いたいから北海道出身になりたい

ふと、又吉さんの「夜を乗り越える」という言葉を思い出した。

私は、自ら命を絶つという選択には二種類あると思っていて。プラスな気持ちな場合と、マイナスな気持ちな場合。プラスな気持ちで命を絶つのであれば良いと思うし、逆にマイナスな気持ちで命を絶つのであればやめてくれ〜と思う。単純に、生きている理由なんて楽しいってだけなんだから、生きていない方が楽しいと感じるんだったら生きていない方が良くない?と思うということなのだけれど。

でもこれは理屈的に考えた場合であって。感情的に考えるとやはり自ら命を絶つというのは悲し過ぎるなあとも思う。それを「悲しいことだ」と決めるのが他人なのもおかしな話なのだけれど。知り合いがそうなるのはやっぱり悲しいし、遣る瀬無い。けど本人や周りを責める気にもなれない。知らない人だと尚更だ。

でも優しい人ほど精神を病むというのも事実で。なんだその不条理過ぎる世界は、とも思う。

選択肢に「死」が入る瞬間のことを、私は本当にほんの少ししか知らない。以前、と言っても何年も前だけれど、”自分の今までの言動や心の動き、触れ合ったものが周りの全てに少なからず影響して、それが連鎖して降り積もってリセットできない” と気付いた時に私は、「もうどうしようもないんじゃないか」「取り返しがつかないくらい生きてきてしまったのではないか」「早め早めにやめておくのが得策なのでは」とかいう考えが頭の中をグルグルして気持ちが悪くなってしまったことがあった。(自意識過剰なのは生まれつき) 顔から血の気が引いて、心臓がバクバクして、「どうしよう、どうしよう、どうしよう、」と、一人どうしようもなくなった。ただその「どうしようもない」というのが悩みの種であり、解決策でもあったりして。

その夜を乗り越えて、なんとかなっている今があるわけでして。

「夜を乗り越える」で又吉さんが言っていたように、太宰も「どうしようもない夜」を、ただ一夜、ただ一夜越えれば良かったのだ。血の気が引くほど絶望する夜は、時間が経てばなんとか朝になり、人や風景が動き出す。少しだけ待ってみるといいかもしれない。「時間が解決する」という言葉は好きじゃないけれど、実際、時間の力は想像以上に偉大だ。解決はしてくれないけれど解決に向かう為の命を守ってくれることがある。

 

乗り越える必要のある夜は一旦置いておいて、私は夜が好きだ。雨の日と同じくらい好きだ。普段セコセコと動いている人間や植物、風景、空までもがみんな地に足をつけて一人ずつ同じ量の夜を持って、体育座りをしているみたいな感じがする。その空間は孤独で寂しいかもしれないけれど、同時に平和で穏やか(で偶にスリリング)だ。

上に書いたのは精神的な話なのだけれど、これを物理的に(?)実践するのも面白くて。トイレやお風呂みたいな個室に入って、電気を全部消す。お香とか炊くともっといいかも。平和と穏やかとちょっぴりのスリリングを形にする、と、ちょっと「おお」と思う。一度やると、偶にやりたくなる。夜を理解することで、夜が怖くなくなるかもしれない。

 

「時間は夜を乗り越えさせてはくれないけれど、乗り越える為の命は守ってくれる」

↑これ今日の名言な🐸

 

カエルとかトカゲを飼いだしてから「私が私の事情で死んだらこの子達はどうなるんだよ!」と思うようにもなった。(^。^)笑

 

【全く関係の無いこと】

なんで「アツいバンドが好きです」って言うと「あっ、マイヘアとか?」って言われるんでしょうか。その場合、私は爆弾ジョニーやボイガル、忘れてモーテルズのことを言っています。マイヘアは黒い服ばっか着てそうなので苦手です。