真・女神転生 デビルチルドレン 白の書

懐古的な心情から、ゲームボーイカラーと「真・女神転生 デビルチルドレン 白の書」を買った。(名前が最高過ぎてうちながら泣いた。)

一度電源をつけたが最後、3時間でも4時間でも余裕でやってしまっている。大人なのに。眠気なんて吹っ飛んでしまう。大人なのに。

デビチルの面白いところは、いくら戦闘を重ねてもデビル達は一切強くならないというところ。(デビチルでのデビルは、ポケットモンスターでのポケモンだよ!) ではどうすれば良いのか。教えてしんぜよう。

合成、合成、合成に次ぐ合成。デビルを強くするには、ひたすらデビルを仲間にして合成しまくるしか手はないのだ。合成でしかデビルは強くならない。何故ならデビルだから。切ねぇ。それに対して自分自身は戦闘を重ねる度にレベルアップしていく。切ねぇ。

でもなんだか「合成」という言葉を使われると、合成してきた全部のデビルが今のデビルに少しずつ入っているような気がしてくる。決して寂しくなんかない。たとえ寂しくても、強くならねばいかんのだ、、、魔界と人間界を守る為に、、、、

デビルを仲間にする過程も面白くて。「こうしょう」というコマンドを使う。デビルによって相性があったり、「▶︎やさしくする ▶︎ちょっとふざける」みたいな選択肢があったりする。

そう、何を隠そうこれは乙女ゲーム要素。あり得ん楽しい。めちゃくちゃ楽しい。

 

今回私が買ったのはゲームボーイカラー。だけれど、本来私が懐古的な心情によって買うならば、そこはゲームボーイSPでないといけない。ゲームボーイカラーをプレイしていた記憶は正直1mmくらいしかない。SPはめちゃくちゃやってた。カラーのカセットもアドバンスのカセットもいけるんだもの。便利過ぎ。

でも私はカラーを買ってしまった。見た目が可愛いから。「レトロ感」に屈したから。

私は、こういうところで不誠実だ。いけない、いけないよこんなんじゃ。いけないんだよ、、こうやって過去は今に犯されていくんだ、、でも黄色いゲームボーイカラーは死ぬほど可愛い、、

 

人によって「くだんねー」と思うことって違う。私にとってめちゃくちゃ大事なことがきっと私以外にとっては死ぬほど「くだんねー」し、誰かが必死になってやってることが、私にとっては「くだんねー」くてたまんねー。

荒い言い方をしたけれど、それは正解で正義で救いようであると思う。

私はよく「くだらなくないのに「くだんねー」と思うふりをする」ことがある。

羨望や嫉妬や憧れに襲われた時、これが最高の自己防衛術になる。他人の誰かの環境を羨んだり他人の誰かに成り代わりたいという気持ちは、全部幻想で夢で幻だ。私が昔それでしか生きていなかったから、余計にそう思うのかもしれない。

人は人生のどこかでどうしようもなく他人に憧れるものだと勝手に思っている。他人にはなれないと気付いた瞬間には泣いていいと思う。私も数年前、やっと気が付いて散々泣いて\塚田胡桃になるしかねえべ!/と決めて今に至るわけだし。「憧れ」って大事だと思う。けど、私はそれじゃ長く続かなかった。捨てたことだからこそ、特に「不健康」だと感じる。勝手かもしれないけれど。

つまりは、自分にしかくだんねーくないことがあっていいし、他人のことを心底くだんねーと思ってもいい。思い込んだっていい。不誠実かもしれないけれど、「他人になりたい」と思うよりはずっと健康的だ。私にとっては。

だからゲームボーイカラーゲームボーイSPの問題は、決して「くだんねー」くはない!決して!!

 

次はワンダースワンが欲しいな。

 

みんな自分に許されて生きてるんだな〜、と活動再開後の爆弾ジョニーを久し振りに聴いて思った。だんだん再開後が好きになってきた。

 

好きな漫画を上げろと言われたら散々悩んだ挙句「、、ゼブラー、マン、、、!!!」と言うようにしてるんだけど、レイジ先生の漫画から入ったせいで原作であるはずの映画を全く良いと思えない。カルマが足りない、カルマが足りないぜ、カルマがよぉ、、!!!!!!!!

 

 

は〜、デビチルして(明け方に)寝よ。