サンキュータヌキ 昨日も今日も

行き場の無い幸せな気持ちが高まって飽和状態になった時、私は歩く。それか、近くの公園に行ってブランコを漕ぐ。

昨日は公園で1時間くらいブランコを漕いでいた。特別「恋人が欲しい」と思うことは無いけれど、この時ばかりは「幸せな気持ちを伝えられる関係性が欲しい」と思う。でも、幸せな気持ちの押し売りになってしまうのが怖い。だから恋人はきっと、好意を持った人間同士でないといけないのだ。知らんけど。あれもこれも全部、オザケンの作る曲が良過ぎるからだ。

 

 

後期のレポートや試験が全部終わった。

最後のライブ形式の実技試験では、自分で作った曲をドラムを叩きながら歌った。

今思えば、私は去年、ちょっとの勇気を沢山出した。曲を完成させるのも、それに自分で歌を入れるのも、書き溜めていた歌詞にメロディーをつけるのも、それを誰かに見てもらうのも、全部が初めてで、全部が怖かった。ツイッターのアカウントを新しくするのも、自分で書いた文章を「読んでくださーい」って載っけるのも、全部初めてで、でも全部やってみたかったことで、でもその気持ちと同じくらい怖くて。

自己満足することが私は大好きで、服も化粧も髪の毛も何もかも、自分が自分を好きになるように楽しくやってきた。それを周りに公開できていたのは、少なからずそれに自信があったからなんだろうな。と、今になって思う。

音楽が、コンプレックスだ。みんなみたいにドラムも上手じゃないし、そもそも音楽になんて微塵も興味がないまま、中学までの人生を過ごしたし。音感なんてまーったく無いし、歌も下手。自分の声が気持ち悪い。機材にも興味が湧かないし、音楽理論も勉強する気にもなれない。深刻な顔をして音楽をしている人が怖い。音楽だけで…食っていく…!!!みたいなガッツも無い。モテる為にバンドやってもいーじゃんって思うし、古いも新しいも無いと思う。ただ音楽が好きで楽しい。愛おしくて堪らない曲や詞を知っている。それを聴いた時の心臓の感じを、感覚として覚えている。

文化としての音楽の立ち位置が好きだ。

 

私は、聴く側の人間だ。と、よく思う。好きなだけで、それだけなのだ。ライブハウスは気持ち悪くて苦手だし、ライブでの音源よりもCDに入っている音源の方が好きだ。ただの「音楽好きな人」が何を間違えたかステージに立ち、「たのしー」と思って音楽大学に入った。それだけのことだ。

 

でも、今日みたいに自分のものを自分の身体で自分の脳みそで服で雰囲気で表現するというのは、なんていうか、楽しいとかじゃなくて。うれしーー!!って感じで。なんかこう、返事が来るわけでもないのにラブレターを書いて、勇気を出してポストに入れて、それだけで「うれしーー!!」みたいなのと同じ感じで。拙いところも気が利かないところも直すべきところも練習すべきところも勉強すべきところもめーっちゃあったんだろうけど、それよりも「うれしーー!!」が勝っちゃって。曲や詞を書く時も、おんなじ気持ちで。嬉しくて、幸せで、それが飽和したみたいな気持ちになるんだ〜。

私の場合、それは音楽だけじゃなくて。好きなことややりたいことが全部その気持ちを持ってて、何かの区切りで、それを私に渡してくれるのが、また嬉しくて。幸せの連鎖って感じ。セルフサービスだけどそこには沢山のツールがあって、暖かいなあと感じる。そんなのに囲まれて生きられる人生、幸せで幸せで仕方がない。

 

どういうことか分かる?

 

私には分からない♨︎

 

てか試験とレポート沢山やって生きてるの偉い!お酒飲んじゃお♨︎

 

 

なんか恥ずかしいのでツイッターで共有はしません!セルフサービスドリンクです。安めの🍹