竜之介は今日も闊歩する

テグーというオオトカゲの一種を新しく家族にお迎えした。名前は竜之介。

色々考えた結果、実際に顔を見て最初に出てきた名前にした。直感を大切にしていきたい。

うなぎ丸がちょべりおっとりトカゲなので「トカゲって歩くの速いイメージあるけど、ある程度の大きさになるとそんなことないんだな」と勝手に思っていた。そしたら竜之介は死ぬほど歩くの速くて笑った。力もバカ強くて笑った。確かにこれは人馴れしてないと猛獣だわ。

 

色んな生き物を知ると、本当にそれぞれ良さがあって最高だなと思う。「良さ」というよりも、「可愛さ」の方が正しい。それぞれに生き方があって、戦い方があって、生き残り方があって。強いか弱いか相性がどうだとか人間から見て道徳的かどうかだとか、これまた色んな視点からもそれを見ることができて。

哺乳類も爬虫類も両生類も鳥類も虫も寄生虫も微生物に至るまで、本当にみんな必死に可愛く生きてて愛おしい。

 

「爬虫類は慣れるけど懐かない」ってよく言われるけど、それは嘘だと思っていた。飼育したことのない頭だけがいい人が生物学的に言ってるんだろうなと思っていた。そしてそれは、ある意味ではバカと同じだなとも。

でも竜之介と接してみて分かる。これは「慣れ」だ。私の手に慣れるか、私の手の上で落ち着けるか。ほんの少しのことで、「あ!!!!!!!!無理!!!!!!!!降りる怖い無理!!!!!!!!!!!!!!」ってなる瞬間が、彼にはあるみたいで。「慣れる」って、そうなる瞬間が少しずつ減っていくことを言うんだろうな。

で、人間の方も「知って」「慣れて」いく必要がある。個体によって性格も好き嫌いもバラバラだから、触っていい場所も持ち上げ方もみんな違う。それを探り探りストレスをかけ過ぎないように、毎日少しずつ見つけていく。人間に慣れている爬虫類なんてきっといなくて、爬虫類に慣れている人間もきっといない。その個体同士での信頼関係や知識や経験を土台とした上で、築ける「ベタ慣れ」だと思うんです、、。

触る強さや角度や箇所、それを分かり合えるようになるのって生物学的なものを超えた、ひとつの愛情じゃないですか。だから、爬虫類には感情が無いとかあるとか、そういう次元の話じゃないんですよ。いつまでそんな話をしてるんだ………という感じなんですよ。

 

私はトカゲもカエルも犬猫と同じように可愛がっているけれど、わんちゃんの感じを思って家族に迎えると(特にアオジタやスキンク系じゃなくてモニターやテグーを)、悲しくなることも寂しくなることも、時には苛つきを覚えることもあるのかもしれないなと改めて感じた。

最近はナイルモニターやサルバトールモニター、サバンナモニターも1万以内で買えたりする。ある程度の飼育設備を入れても7万程度で収まる。

私はそう思ってはいないけれど、爬虫類や両生類って「哺乳類と虫の間」みたいな感覚で、手を出しやすいんだろうな。だから「思ったより獰猛だった」とか「慣れなかった」とかいう理由ですぐ手放したりする。サルバトールとか2メートル近くにもなるオオトカゲなのに。

そもそも、愛玩する生き物として適していないんだな爬虫類やエキゾチックアニマルは。

でも、だから、トカゲやカエルを家族として迎え入れて一緒に暮らしている人からはすごく愛情を感じることが多い。「好きな気持ちがどうしようもなく溢れ出した末に、家族として迎え入れている」感じがする。

 

色々書いたけれど、私も愛情故に家族としてトカゲやカエルやムカデを迎え入れている人間です。我が子のように、可愛くてたまらない。

お互いに安心できる関係っていいねえ。家族だもんな、そんなの。

みんな、長いお付き合いになるんだと思います。大切に丁寧に末永くいきましょう。

 

2ヶ月くらい前に玄関で拾った死にかけのカナブン、すっかり元気になりました。愛着が湧いてしまってそのままうちに置いていたのですが、台風も過ぎたことだしお外に帰そうと思います。寂しい。

たまたま男の子と女の子だったのか、仲睦まじそうにしていたのでお外帰ったら子ども産むかもしれんなあ🍼

生まれた子どもたちに、うちにいた色んな生き物たちの話を聞かしてやってくれよう。なんか泣きそうになってきちゃった。何回もマンションの階段でカナブンやコガネムシが死んでいるのを見たし、お外は過酷だからあの子達もいつ死んでしまうか分からない。寂しくなるねなんか。またね、という感じです。いつでもおいでな。

 

こうやって夏が終わるな〜、と感じたり感じなかったりしますね。季節は割とどうでもいい。

ハッピーにいこうや。何にしろ、分からんことだらけです。

 

 

 

 

 

他人にとって私が他人なのは、やっぱり不思議で謎の安心感を生む。分からんことだらけです。