アルコールは合法

ブログは酔った時に書け、と教わった。記憶の代わりに。

無限の寂しさが無限の愛おしさに変わった瞬間、あんでぃもりを聴くのだ。私は、音楽が好きだけども。そんなの当たり前だけども。それよりも、詩や詞や文章が好きなのかもしれないと思う。ふたつが合わさって最強になっているのが、楽曲というやつなのだけれども………………

ああ、人生が進んでいく。私の意思とは裏腹に。時間と、私の感覚と、常識と、危機感と、好意と、嬉しさと、悲しさと、寂しさと、愛しさで。とんでもない速度で、人生が進んでいく。すごい速さで夏が過ぎるどころじゃない。

憧れた土地も忌み嫌った土地も、そう変わらない。そんなこと知った上での全ての感情だ。

諦めじゃない。妥協じゃない。進みたい方向に、進んでいかなければいかない。どうでもよくなる前に、どうでもよくなくしないといけない。気を抜くと、どうでもよくなるから。

終わるなら、終わってくれ。私のこの人生はどうにもならないから。くだらない。

金、空気、食料、水、この中のどれか一つでも私が生きていることで返済できただろうか。

借金のようなものだけが日々膨れ上がっていくようで、ずっと苦しい。いくらごめんなさいと言っても、そこから金や家や食べ物は出てこない。いくら泣いても私は生きていて、全てが減っていく。

そんなことを言っても私は地元がどうしようもなく嫌いで、東京が好きで、好きなものが好きで、好きな人が好きで、美味しいものを食べたいし、お酒を飲みたい。かわいい服を買いたい。浅ましいことに、子どもも欲しい。その事実が、どうしようもなく辛くて、申し訳なくて、情けない。いくら泣いても何も変わらない。どうしたらこの罪悪感から解放されるのかが分からない。申し訳がない。どうでもよくなって、全部やめたい。本当にやめたい。

もう色んなことがあったし、生き切った気がする。と言ったら、友達が、じゃあ来世を今生きればいいじゃんみたいなことを言った。本当に救われて、それでいいなら、そうやって生きたい。

もう人生を何章進んだか分からない。起承転結で終わるんだったら、もうすぐ多分終わる。

それにしては好きなものや人が多過ぎる。辛い。家族に、友達に、好きな人に、好きなものに、申し訳なくなくなるならなんでもいい。なんでもやりたい。起承転結が終わった物語の登場人物も、私の頭の中で生きているみたいに、生きていてもいいかしら。ダメかな。